ブログ記事をYouTubeでらららが配信しています!

宇宙犬ライカ 〜スプートニク2号で人類に希望を与えた犬〜

宇宙犬ライカ 〜スプートニク2号で人類に希望を与えた犬〜 文化
宇宙犬ライカ 〜スプートニク2号で人類に希望を与えた犬〜

人類より先に宇宙に行った動物をご存知でしょうか。「ライカ」という名の犬で、ソ連の宇宙船「スプートニク2号」に乗りました。現在における宇宙科学の発展は、ライカのお陰だと言っても過言ではないでしょう。

今回は、犬のライカと、宇宙船スプートニク2号についてまとめました。どんな結末が人類に希望を与えたのか、しっかり見届けてくださいね。

 

LALALAちゃんねる!の動画で見る
スポンサーリンク

「ライカ」はなんの変哲もない犬

まず、ライカという犬について、基礎知識を確認しましょう。世界で初めて生物として宇宙に飛び立ちます。なぜこの重大な役目に選ばれたのでしょうか。研究者の飼い犬だったのでしょうか。

いえ、モスクワ通りを彷徨っていました。

計画に携わっていたヤズドフスキー博士が拾ってきたのです。博士は複数の犬を集め、宇宙で耐えるための訓練をしようと計画していました。そのうちの一匹がライカでした。性別はメスです。

スプートニク2号は、かなり小さい宇宙船です。排泄をするには、オスには狭すぎる空間でした。片足を上げなくていいメスが望ましい、とされていました。犬種は定かではありません。ロシア原産種やジャーマン・スピッツだと報道されていたことがあります。現在では雑種だったのではないかと言われています。

体重は5kg程度で、小柄だったそうです。名前はライカの他に 複数持っていました。当初は「巻き毛ちゃん」を意味する「クドリャフカ」として報道されていました。他にもアメリカの造語「ムトニク」も有名です。「mutt」

(雑種犬)と「Sputnik」(スプートニク)をくっつけた名前です。さらに「ジュチュカ」や「リモンチク」とも呼ばれていました。ただの犬でしたが、宇宙計画に携わったことで、世界中から注目されていたんですね。

スポンサーリンク

「スプートニク2号」は片道切符

世界初の宇宙船、スプートニク2号。ソビエト連邦が1957年11月3日に打ち上げました。外見は円錐形で、高さ4m直径2m、508kgです。宇宙船にしてはかなりコンパクトサイズですよね。理由は2つあります。

犬(ライカ)1匹が乗れれば十分なため、そしてシンプルな設備しか搭載していないため、です。宇宙船には欠かせない、地球への帰還装置は必要なかったのです。そうなんです、もともとライカが戻る予定はありませんでした。巷では、「打ち上げてから10日後に、酸素が尽きて死ぬだろう」と言われていました。

発射後5ヶ月もの間、地球へ戻ること無く、まわりを回っていました。死んでしまったライカを乗せたまま、スプートニク2号は飛行していたのですね。その後、1958年4月14日、地球の大気圏内で燃え尽きました。ライカもスプートニク2号も、焼失したのです。

結局、どちらも再び地上に降り立つことは出来ませんでした。当時のソ連公式情報では、ライカの死についてこのように伝えました。「ライカは安楽死でした。毒入りの餌を用意しておいたのです。」酸欠より、毒死のほうが良かったのでしょうか。

どちらにせよ、苦しかったことでしょう。ヒトで実験を行う前に、動物で試すことはよくあることです。しかし、科学のために、動物の命を軽々しく扱ってよいのでしょうか。この悲しい結末に、イギリス国民は反対運動を起こしたそうです。

スポンサーリンク

犬の絶望

話はこれで終わりませんでした。その40年以上あとに、衝撃の事実が発覚したのです。1999年、ロシア政府筋からの情報で、「ライカは毒死ではなかった。」と分かったのです。「船内の加熱により、打ち上げから約4日後に死んでいた。」とも、、

ソ連の「安楽死」という発表とは、食い違う部分があります。それから3年後の2002年。計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフ氏も、言及します。「ライカの死は、ストレスと室温上昇によるものだった。」と。詳細はこうです。

ひとつめの原因であるストレスは、容易に想像がつくでしょう。宇宙船が発射する瞬間を見たことがあるでしょうか。激しく揺れますよね。衝撃・圧力もすさまじいものだと予測できます。スプートニク2号の打ち上げ時も、同じような現象が起きました。

訓練を受けた人間でさえも、怖気付くほどです。言葉が分からないライカは、初めての状況に激しく動揺したのでしょう。体に取り付けられていたセンサーは、通常の脈拍数と比べて3倍を記録していました。だんだんと落ち着き始めるものの、いつも以上に時間を要したことが分かっています。かなり大きなストレスを受けていた証拠です。

ふたつめの原因、室温上昇については予期せぬ出来事でした。途中までは成功と見られていた「スプートニク2号」ですが、トラブルに陥りました。宇宙船は打ち上げから数時間後、軌道に乗ったところで、ロケット本体と衛星が分離する予定でした。しかし、失敗してしまい そのまま飛行を続けます。同じタイミングで断熱材にも問題が発生し、熱を制御する機能が働かなくなりました。

15℃に設定されていた船内は、40℃まで上昇したと見られています。ライカは、その暑く狭い空間の中に閉じ込められていたのです。飛行を開始してから6時間前後で、生体反応を確認できなくなったそうです。詳細は誰にも分かりません。間違いないのは、ライカは一匹で苦しみながら死んでしまったということです。

スポンサーリンク

人類の希望

ですが、ライカの死は無駄ではありません。ソ連での宇宙開発に役立ちました。「スプートニク2号」発射から約4年後、大きな成果を上げました。

1961年4月12日、ユーリイ・ガガーリン氏が世界初の有人宇宙飛行に成功したのです。「地球は青かった」という言葉を、一度は聞いたことがあると思います。ガガーリン氏が、大気圏外から地球を見たときの感想ですね。

「ボストーク1号」という宇宙船で地球を1時間50分ほどで1周し、無事にソ連領内の牧場に帰還しました。1965年3月18日には、世界初の「宇宙遊泳」をも実現しました。宇宙飛行士が、青い地球を背景に、作業している映像を見かけますよね。当時としては画期的でした。

アレクセイ・レオーノフ氏が宇宙船と自身の間に長さ5mの命綱をつけ、約20分間船外にいたのです。こちらも、ソ連が関わっていました。「ボスホート2号」での功績です。現在は「船外活動」とも呼ばれています。

ソ連に限らず、全世界でライカの影響を受けています。アメリカの「アポロ計画」もその一つです。1969年7月20日のことでした。人間が初めて、月面着陸に成功しましたね。地球以外の天体に降り立つことが出来ると証明されました。すなわち、宇宙移住も実現の可能性はあるのです。

中国の「神舟(しんしゅう)計画」はご存知でしょうか。2003年に「神舟5号」が、有人軌道飛行を達成しました。ソ連・アメリカに次ぎ、世界で3番目です。さらに2019年1月には、「嫦娥(じょうが)4号」が月の裏側へ着陸もしています。

日本人初の宇宙飛行士となった毛利衛さん。彼も、ライカについて言及しています。「いつ死んだのだろうか。窓から丸い地球を見たのだろうか。」時代は違えど、同じ宇宙空間にいたからこそ、ライカに強い思いを感じるのでしょう。

安全に宇宙を旅できるようになったのは、ライカのお陰でもあります。「地球生命体として、宇宙に飛び立つことは夢ではない。」ライカによる実験は、人々に希望を持たせてくれたのでした。

スポンサーリンク

 

いかがでしたか?
現在、全世界で宇宙技術が発展しています。人類が宇宙で動き回ることも月に降り立つことも、今のテクノロジーでは可能です。しかし、ここに至るまでに、たくさんの動物達が犠牲になりました。ライカもそのうちの一匹です小さな宇宙船スプートニク2号の中で、ストレスと高温に悩まされ死んでいった犬。最期は、きっと絶望を感じていたでしょう。人類の私達に出来ることは、ライカを忘れずにいること。そして、将来に希望を持つことではないでしょうか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました