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宇宙犬ライカ ~スプートニク2号で人類に希望を与えた犬~

宇宙犬ライカ 〜スプートニク2号で人類に希望を与えた犬〜文化
宇宙犬ライカ 〜スプートニク2号で人類に希望を与えた犬〜

 

人類より先に宇宙に行った動物をご存知でしょうか。

「ライカ」という名の犬で、ソ連の宇宙船「スプートニク2号」に乗りました。

現在における宇宙科学の発展は、ライカのお陰だと言っても過言ではないでしょう。

今回は、犬のライカと、宇宙船スプートニク2号についてまとめました。

どんな結末が人類に希望を与えたのか、しっかり見届けてくださいね。

 

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「ライカ」はなんの変哲もない犬

まず、ライカという犬について、基礎知識を確認しましょう。

世界で初めて生物として宇宙に飛び立ちます。

なぜこの重大な役目に選ばれたのでしょうか。

研究者の飼い犬だったのでしょうか。

いえ、モスクワ通りを彷徨っていました。

計画に携わっていたヤズドフスキー博士が拾ってきたのです。

博士は複数の犬を集め、宇宙で耐えるための訓練をしようと計画していました。

そのうちの一匹がライカでした。性別はメスです。

スプートニク2号は、かなり小さい宇宙船です。

排泄をするには、オスには狭すぎる空間でした。

片足を上げなくていいメスが望ましい、とされていました。

犬種は定かではありません。

ロシア原産種やジャーマン・スピッツだと報道されていたことがあります。

現在では雑種だったのではないかと言われています。

体重は5kg程度で、小柄だったそうです。名前はライカの他に 複数持っていました。

当初は「巻き毛ちゃん」を意味する「クドリャフカ」として報道されていました。

他にもアメリカの造語「ムトニク」も有名です。

「mutt」(雑種犬)と「Sputnik」(スプートニク)をくっつけた名前です。

さらに「ジュチュカ」や「リモンチク」とも呼ばれていました。

ただの犬でしたが、宇宙計画に携わったことで、世界中から注目されていたんですね。

 

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「スプートニク2号」は片道切符

世界初の宇宙船、スプートニク2号。

ソビエト連邦が1957年11月3日に打ち上げました。

外見は円錐形で、高さ4m直径2m、508kgです。

宇宙船にしてはかなりコンパクトサイズですよね。

理由は2つあります。

犬(ライカ)1匹が乗れれば十分なため、そしてシンプルな設備しか搭載していないため、です。

宇宙船には欠かせない、地球への帰還装置は必要なかったのです。

そうなんです、もともとライカが戻る予定はありませんでした。

巷では、「打ち上げてから10日後に、酸素が尽きて死ぬだろう」と言われていました。

発射後5ヶ月もの間、地球へ戻ること無く、まわりを回っていました。

死んでしまったライカを乗せたまま、スプートニク2号は飛行していたのですね。

その後、1958年4月14日、地球の大気圏内で燃え尽きました。

ライカもスプートニク2号も、焼失したのです。

結局、どちらも再び地上に降り立つことは出来ませんでした。

当時のソ連公式情報では、ライカの死についてこのように伝えました。

「ライカは安楽死でした。毒入りの餌を用意しておいたのです。」酸欠より、毒死のほうが良かったのでしょうか。

どちらにせよ、苦しかったことでしょう。

ヒトで実験を行う前に、動物で試すことはよくあることです。

しかし、科学のために、動物の命を軽々しく扱ってよいのでしょうか。

この悲しい結末に、イギリス国民は反対運動を起こしたそうです。

 

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犬の絶望

話はこれで終わりませんでした。

その40年以上あとに、衝撃の事実が発覚したのです。

1999年、ロシア政府筋からの情報で、「ライカは毒死ではなかった。」と分かったのです。

「船内の加熱により、打ち上げから約4日後に死んでいた。」とも、、

ソ連の「安楽死」という発表とは、食い違う部分があります。

それから3年後の2002年。

計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフ氏も、言及します。

「ライカの死は、ストレスと室温上昇によるものだった。」と。

詳細はこうです。

ひとつめの原因であるストレスは、容易に想像がつくでしょう。

宇宙船が発射する瞬間を見たことがあるでしょうか。激しく揺れますよね。

衝撃・圧力もすさまじいものだと予測できます。

スプートニク2号の打ち上げ時も、同じような現象が起きました。

訓練を受けた人間でさえも、怖気付くほどです。

言葉が分からないライカは、初めての状況に激しく動揺したのでしょう。

 

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体に取り付けられていたセンサーは、通常の脈拍数と比べて3倍を記録していました。

だんだんと落ち着き始めるものの、いつも以上に時間を要したことが分かっています。

かなり大きなストレスを受けていた証拠です。

ふたつめの原因、室温上昇については予期せぬ出来事でした。

途中までは成功と見られていた「スプートニク2号」ですが、トラブルに陥りました。

宇宙船は打ち上げから数時間後、軌道に乗ったところで、ロケット本体と衛星が分離する予定でした。

しかし、失敗してしまい そのまま飛行を続けます。

同じタイミングで断熱材にも問題が発生し、熱を制御する機能が働かなくなりました。

15℃に設定されていた船内は、40℃まで上昇したと見られています。

ライカは、その暑く狭い空間の中に閉じ込められていたのです。

飛行を開始してから6時間前後で、生体反応を確認できなくなったそうです。

詳細は誰にも分かりません。間違いないのは、ライカは一匹で苦しみながら死んでしまったということです。

 

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人類の希望

ですが、ライカの死は無駄ではありません。

ソ連での宇宙開発に役立ちました。

「スプートニク2号」発射から約4年後、大きな成果を上げました。

1961年4月12日、ユーリイ・ガガーリン氏が世界初の有人宇宙飛行に成功したのです。

「地球は青かった」という言葉を、一度は聞いたことがあると思います。

ガガーリン氏が、大気圏外から地球を見たときの感想ですね。

「ボストーク1号」という宇宙船で地球を1時間50分ほどで1周し、無事にソ連領内の牧場に帰還しました。

1965年3月18日には、世界初の「宇宙遊泳」をも実現しました。

宇宙飛行士が、青い地球を背景に、作業している映像を見かけますよね。

当時としては画期的でした。

アレクセイ・レオーノフ氏が宇宙船と自身の間に長さ5mの命綱をつけ、約20分間船外にいたのです。

こちらも、ソ連が関わっていました。

「ボスホート2号」での功績です。

現在は「船外活動」とも呼ばれています。

ソ連に限らず、全世界でライカの影響を受けています。

アメリカの「アポロ計画」もその一つです。

 

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1969年7月20日のことでした。

人間が初めて、月面着陸に成功しましたね。

地球以外の天体に降り立つことが出来ると証明されました。

すなわち、宇宙移住も実現の可能性はあるのです。

中国の「神舟計画」はご存知でしょうか。

2003年に「神舟5号」が、有人軌道飛行を達成しました。

ソ連・アメリカに次ぎ、世界で3番目です。

さらに2019年1月には、「嫦娥4号」が月の裏側へ着陸もしています。

日本人初の宇宙飛行士となった毛利衛さん。

彼も、ライカについて言及しています。

「いつ死んだのだろうか。窓から丸い地球を見たのだろうか。」時代は違えど、同じ宇宙空間にいたからこそ、ライカに強い思いを感じるのでしょう。

安全に宇宙を旅できるようになったのは、ライカのお陰でもあります。

「地球生命体として、宇宙に飛び立つことは夢ではない。」ライカによる実験は、人々に希望を持たせてくれたのでした。

 

いかがでしたか?
現在、全世界で宇宙技術が発展しています。人類が宇宙で動き回ることも月に降り立つことも、今のテクノロジーでは可能です。しかし、ここに至るまでに、たくさんの動物達が犠牲になりました。ライカもそのうちの一匹です小さな宇宙船スプートニク2号の中で、ストレスと高温に悩まされ死んでいった犬。最期は、きっと絶望を感じていたでしょう。人類の私達に出来ることは、ライカを忘れずにいること。そして、将来に希望を持つことではないでしょうか?

 

参考 : listverse, など
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