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ロンギヌスの槍 ~聖槍はいくつも実在した~

ロンギヌスの槍 ~聖槍はいくつも実在した~雑学
ロンギヌスの槍 ~聖槍はいくつも実在した~

 

「ロンギヌスの槍」と聞くと、みなさんは何を思い浮かべますか。

ロンギヌスの槍という名前は、アニメやゲームにも登場することがあるのですが、この槍の語源は、西暦30年4月7日に執行されたとされる、イエス・キリストの磔刑の際にイエスの脇腹を刺した槍のことだといいます。

その後、ロンギヌスの槍は聖なる槍として、多くのキリスト教徒や歴史上の人物たちを魅了し、「この槍を持った者は世界を制する」という伝説や「持ち主に栄光と破滅をもたらす」と言い伝えられるようになりました。

今回は聖槍と呼ばれるロンギヌスの槍にまつわる伝説といくつかの史実についてご紹介します。

 

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聖槍伝説のはじまり

聖書外典のニコデモ福音書によると、十字架に打ち付けられたイエスの死を確認するため、イエスに激しい敵意を持っていたローマ帝国の百人隊長「ロンギヌス」がイエスの脇腹に槍を刺しました。

ロンギヌスの槍という名前は、彼の名から呼ばれるようになったのです。

刺されたイエスの血は、槍をつたいロンギヌスの手を濡らし、彼はその手で自らの目を擦ると、白内障だったはずの視力が戻る奇跡が起きました。

この奇跡体験からロンギヌスはキリスト教徒となり、最期は殉教者となりました。これがロンギヌスの槍の伝説です。

 

ロンギヌスの槍は聖遺物

キリスト教のカトリックにおいて、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの処刑に関するもの、聖人の遺骸や遺品を崇敬の対象とし、聖遺物と呼んでいます。

これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきました。

一方、同じキリスト教でもプロテスタントでは、聖人と聖人の遺骸や遺品を崇敬しないため、聖遺物という認識はないといわれています。

カトリックは、ローマ教皇を最高指導者として現在もキリスト教最大の信者数を誇る教派です。

カトリック教会の歴史は、西暦312年に皇帝コンスタンティヌス1世がローマ皇帝ではじめてキリスト教に改宗したことで、それまで迫害を受けていたキリスト教が公認され、その後、教会と皇帝の信頼関係が教会に大きな変革をもたらしました。

それらのことからコンスタンティヌスは聖人とされていますが、彼はロンギヌスの槍の持ち主であったともいわれています。

 

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コンスタンティヌスの槍

イエスの死後、ロンギヌスの槍はエルサレムのキリスト教団によって守られましたが、西暦135年、ローマ帝国によってエルサレム神殿は破壊され、他の聖遺物と一緒に失われました。

4世紀になり、皇帝コンスタンティヌス1世は、エルサレムで大規模な捜索を行い、イエスが打ち付けられた十字架、イエスを打ち付けていた聖なる釘、十字架にかけられた罪状と共に、ロンギヌスの槍を発見しました。

しかし、一説には、ロンギヌスの槍は発見されず、仕方なくコンスタンティヌスは、聖なる釘を槍に埋め込み、それをロンギヌスの槍にしたという説もあります。

 

3つの聖槍

イエスを刺した槍が1本だったという明確な記述は聖書にはありませんが、史実には複数の聖槍が登場しました。

そのうち、現存している聖槍は3つといわれ、不思議なことに3つともロンギヌスの槍と呼ばれていました。

 

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①世界最古の教会エチミアジン大聖堂に所蔵する聖槍

世界ではじめてキリスト教を国教にした国、アルメニアのゲガルド修道院は岩を掘って造られた洞窟修道なのですが、そこにイエスの弟子の十二使徒の一人、タダイが持ち込んだという聖槍が発見されました。

現在、アルメニア教会はこの聖槍がローマ兵士のものではないことを認めていて、イエスが活動していた1世紀のユダヤ人兵士が使った槍だったとしていますが、世界最古の教会に所蔵され、しかも、ノアの方舟の欠片も一緒に所蔵されているので、一見の価値があります。

 

②ウィーンのホーフブルク宮殿が所蔵する聖槍

神聖ローマ皇帝の権力の象徴とされていた帝国宝物の聖槍で、9世紀のオットー1世皇帝の時代から継承されている聖槍です。

槍に残された装飾の文字から、2世紀のエジプトにいたローマ軍のモーリス隊長の槍だとされていますが、この槍こそ、1世紀にイエスを刺したロンギヌスの槍だったという説もあります。

モーリスはキリスト教徒で、その部下たちもキリスト教徒だったため、キリスト教を迫害していたローマ皇帝により処刑されてしまい、モーリスは聖人となりました。

4世紀になり、モーリスの槍は皇帝コンスタンティヌス1世が手にします。当時のローマ帝国は、政治的にも宗教的にも東西に分裂していました。コンスタンティヌスは、帝国の覇権をかけた戦いの直前に夢を見たといいます。

それは、輝く十字架の印と、「汝は勝利するであろう」という夢でした。コンスタンティヌスは心を動かされ、自軍の盾にイエスを意味する頭文字を描き、自らはモーリスの槍で戦い、勝利したことからキリスト教に改宗したといいます。

5世紀に西ローマ帝国が滅亡すると、モーリスの槍は神聖ローマ帝国のカール大帝の手に渡ります。

その後、カール大帝の子孫が生活に困り、ドイツのニュルンベルクの町議会に売り飛ばしてしまいました。

その後は、ニュルンベルクで保管されていましたが、19世紀にアウステルリッツ郊外へ侵攻したフランス皇帝ナポレオンが三帝会戦に勝利するとロンギヌスの槍を探し求めたといわれていることから、モーリスの槍はロンギヌスの槍と呼ばれるようになったと考えられます。

この時、聖槍はニュルンベルクからウィーンへ運ばれていました。

それから約130年後、ナチス・ドイツがオーストリアを併合したアンシュルスの際にロンギヌスの槍はウィーンからニュルンベルクへ移管されますが、これは、ヒトラーがロンギヌスの槍から神秘的な力を感じ、「世界を制する力を与える」という伝承に魅了されたからだという俗説もあります。

ロンギヌスの槍は、第二次世界大戦終結後には再びウィーンに戻され、現在に至ります。

 

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③イタリア、サン・ピエトロ大聖堂のロンギヌスの彫刻の下に眠る聖槍

コンスタンティヌス1世の捜索により発掘された聖槍が6世紀頃までエルサレムに存在し、信者たちは聖槍に祈りを捧げたとされています。

7世紀に聖槍は、先端部分が欠けてしまい、その欠けた穂先はドイツの聖母教会に預けられますが、紆余曲折を経てフランスのルイ9世に売却され、パリに渡ります。

欠けた残りの槍は、7世紀のエルサレムの聖墳墓教会での目撃談もありますが、8世紀にはコンスタンティノープルにあったといわれています。

1492年にオスマン帝国のスルタンバヤズィト2世がエルサレムの聖墳墓教会にあったとされる聖槍をローマ教皇インノケンティウス8世に送りましたが、パリにも槍の穂先があったという話やドイツのニュンベルクにもロンギヌスの槍があるという話から、この槍は信憑性が低いとの評判もあったといいます。

しかし、18世紀半ばになり、ローマ教皇ベネディクトゥス14世がパリから槍の穂先の正確な図を取り寄せ、この穂先と手元にある聖槍の穂先が元々はひとつであったことを確信したといいます。

現在、サン・ピエトロ大聖堂に保管されていますが、非公開となっています。

 

いかがでしたか?
現存する3つの聖槍のうち、ホーフブルク宮殿とサン・ピエトロ大聖堂にある聖槍には数々の逸話と、多くの歴史上の重要人物が関わっていたことがわかります。今回ご紹介したほかにも、ロンギヌスの槍にまつわる伝説や史実はまだまだありますので、ご興味がある方はぜひ調べてみてください。

 

参考 : britannica, wikipedia, など

 

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