とあるオークションで、3億円を超える額で落札された手紙がありました。
それは歴史的な天才物理学者アルベルト・アインシュタインの手紙です。
あの有名なアインシュタインが記した肉筆の手紙である、ということであれば、たしかにそこには大きな価値があります。
ですが、たった1通の手紙に3億円を超える値段がつくことは、異様なこと、と言えなくもありません。
今回は、どうしてたった1通の手紙に、それほどの価値が見出されたのか、についてご紹介します。
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通称「神の手紙」と呼ばれる手紙
その手紙は、通称「神の手紙」と呼ばれています。その手紙に、3億円を超える価値が見出された理由は、あの相対性理論で有名なアインシュタインが、「神」というものをどう捉えていたのか、ということが分かる内容だったということ。
そして、それは同時に、当時の宗教観にはっきりと異議を唱える内容だった、ということです。
もう一つの手紙。天才が考える「神」
3億円で落札された手紙の前に、有名な別の手紙がありました。
その手紙は、1926年、ドイツの理論物理学者マックス・ボルンに宛てた手紙でした。
彼は、アインシュタインと親交の厚い、1954年にはノーベル物理学賞を受賞するような天才の一人。
その手紙の中には、当時のアインシュタインが考えていた「量子力学についての見解」や、「神の存在」について記されています。
また、かの有名な『私はどのような場合でも、神は賽をふらない、と確信している』といった言葉も、この手紙の中に記されていた言葉です。
宇宙の創造という謎
当時でさえ、量子力学の分野では多くの発見が成され、様々なことが解き明かされていましたが、「宇宙そのものの創造は、いかにして成されたのか?」といったことについては、解答は得られていませんでした。
『量子力学は確かに印象的だ。だが内なる声が、まだ本物ではない、と告げてくる』
『この理論から多くの成果が上がったが、神の秘密には近づけない』
そういった「存在」についての、根本的な解答は得られない現状において、いくら多くの発見があったとしても、アインシュタインとしては「まだまだ、神の領域にたどり着くには、足りていない」といった、現状の認識が、手紙からは読み取れます。
アインシュタインにとっての神
アインシュタインが、手紙の中で、「神」という言葉を使っていた、ということも、ポイントです。
つまり、そもそもの始まりである宇宙の創造、さらに世界が成り立っている構造について、量子力学といった科学的な観点からのアプローチについて語る手紙の中で、実存が証明されていない「神」という言葉を使っていたということは、彼にとっても「神」というものは、根拠はなくとも実在を確信しているものとして、日常の中にすでに組み込まれていた概念だったのではないか、ということです。
「聖書は子供じみた原始的な伝承の集めに過ぎない」
「神の手紙」は、アインシュタインが亡くなる1年前、彼が74歳の時に書いた手紙でした。
アインシュタインが手紙を出した相手は、ドイツ系ユダヤ人哲学者のエリック・グートキンド。
グートキンドは、自身の著書「Choose Life: The Biblical Call to Revolt」の中において、聖書の教えを、楽観的でありながらも、人間主義的に解説していました。
その解説に対してアインシュタインは、手紙の中で反論をしました。
『神と言う言葉は、私にとって人間の弱さの表現、産物以外の何物でもない』
『聖書は尊ぶべきものではある。だがそれでも子供じみた原始的な伝承の集めに過ぎない』
アインシュタインのいう神は宗教的な神ではない
聖書に対して懐疑的なアインシュタインですが、それがイコールで、「アインシュタインは無神論者だった」ということではありません。
彼が手紙を通して否定したかったのは、宗教に登場するような、いわゆる「人格のある神」のことでした。
「人格のある神」というのは、人々を宗教の力で統治しようとした支配階級によって生み出された、つくりものの神のこと。
アインシュタインは「神」の存在は決して否定しませんでしたが、「人格のある神」に対しては否定的でした。
アインシュタインにとっての神
1929年、アインシュタインは一通の電報を受け取りました。
送り主はユダヤ教の最高指導者、ゴールドスタイン・ポール・サーフコ。
電報は、アインシュタインに一つの質問を投げかけていました。
〈神を信じるかね?〉
アインシュタインは、その投げかけに対して、自然の驚異に触れたときの畏敬の念と、人々の行為を監視して悪事を働けば罰する神とを、明確に区別して、全くの別物として、捉えているということを示しました。
彼にとっての神とは、ある人々にとって都合が良いように作られたもののことをいうのではなく、あくまでも超越的な存在、創造主としての神そのもののことなのでした。
「スピノザの神は信じる」とアインシュタインは言っていた
アインシュタインは、オランダ系ユダヤ人哲学者バールーフ・デ・スピノザを称賛し、「スピノザの神は信じる」と言っていました。
スピノザは「汎神論」というものを唱えた人でした。
「汎神論」は、ようするに「この世界そのものが神である」という説のことです。
宗教の中で崇めることを強制されるような、誰かにとって都合の良い、子供じみた「人格を持つ神」というものが神だという説は、到底受け入れられないが、スピノザのいうような、「世界そのものが神であり、世界の外に神というものが、世界とは別に存在しているのではなく、この世界そのものに、あらゆるものにあまねく神性が宿っている」と考える方が、彼のイメージする神に近いものでした。
神の存在についても言及する物理学者
アインシュタインがグートキンドに宛てた手紙の中に有名な言葉があります。
『エゴに基づく欲望からの解放を目指し、存在の向上と洗練を目指し、純粋に人間という要素を強調せよ』
自我に沿った欲望というのは、人類というものを総体的に見た時に、個々がそれぞれの「己」を優位に運んでいこうとすることによって、結果的に総体としての優位性や安定性を目指せるように種の本能に刻み込まれた宿命的な指示ではありますが、結果的に総体的な種としての優位性や安定性を崩すような私欲にのみ振り回されることは、人という総体を良い方へは導かない。
それよりは、個々が本能を律し、立場を弁え、個としての向上や成長を目指すことが、人という総体を良い方へ導く。
そういったことを自覚し、そういったように生きるべきである、と。
彼は、あくまでも物理学者としての観点から、世界の真理を紐解こうとしましたが、そういったことを突き詰めていけばいくほど、「神とは何か?」といった疑問も生まれるようになったようです。
アインシュタインにも、神の存在は証明することはできませんでした。ですが、「少なくとも、この神は違う」「こういった神のイメージは、私のイメージに近似している」といった断片的なヒントが、こうして後世に残っています。『もし宗教的と言われる何かが私の中に存在するのなら、それは私たちが科学によって明らかにできる世界の構造に対する際限のない賞賛です』という言葉を残したアインシュタイン。世界そのものがなぜ存在しているのか、という永遠の謎が、いつか解き明かされる日がくることを期待しましょう。
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