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生命誕生の起源 ~命が先か意識が先か~

生命誕生の起源 ~命が先か意識が先か~人体
生命誕生の起源 ~命が先か意識が先か~

 

生命はどこから来たのか。

これは人類史上において、数千年も前から論じられている命題です。

様々な立場の人がその英知を駆使して考察していますが、残念ながら現時点で未だ明確な解には辿り着いていません。

しかしながら、現代の世では、新しい考え方でこの難題に取り組もうという動きが出てきています。

それは「意識が命を生み出した」という説です。生命が無いのに意識があるとはどういうことでしょう。

今回はこの新設についてご紹介します。

 

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常套句としてよく使われる鶏と卵の関係

最初から難しい問題に取り掛かる前に、比較的、身近なお話から入っていきたいと思います。

「ニワトリタマゴの世界だよ」という会話が生じることがあると思いますが、これは「ある事象が発生する原因がどちらにあるのかわからない」、「どちらが先に来るかわからない」、という意味合いが含まれます。この後に「だから論じても結論の出しようがない」といった言葉が続くこともよくあります。

私たちが蛋白源として大変お世話になっている鶏ですが、どこから生まれるかというと、人類の定義的には卵から、となります。すでに卵の中で生命は誕生している、という見解もありますが、ここでは卵の孵化を命の生まれる瞬間とします。

卵が孵って雛と呼ぶ様態を経て、赤い立派な鶏冠を持つ鶏となっていきます。

その後、大人になった鶏としては、自己の種を保存、継続させていくため、卵を産み次世代に命を繋ぎます。

無精卵状態のものを、私たちは日々ありがたく頂戴しているわけですが、有精であればまた生命が誕生する胎内の役割を果たし、この世に生まれ出ます。

これは一般的な流れなので、特段違和感を覚える人はいないでしょう。

しかしながらふと気づきます。鶏と卵、どちらが先に存在するのだろう、順番的にどうなっているのだろう、という疑問です。

卵が無ければ当然鶏も生まれてこないのですが、かといって鶏がいなければ卵も生成されません。

当たり前のように流れている生命誕生の繰り返しにおいて、一体その起源がどこにあるのか、遡って考えてみても、どうも判然としません。

このお話は非常に有名なので、普段の会話にも慣用句的に使われるようになっています。

 

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賢人たちによる世界観命題への解答 ①宗教的見解

このニワトリタマゴの命題については、人類の歴史上、かなり長い年月をかけて論じられてきています。

各人が大切にしている価値観、立つ瀬となる世界観によって、解答はそれこそ各種各様です。

立証するす術がないのでどれが正解かはわかりませんが、多様性という観点では大変興味深いものがあります。

例えばキリスト教に代表される神教では、それはもう神様絶対の世界ですので、生命は神が生み出したという見解です。

森羅万象、ありとあらゆる事象が神によって創造されていますので、ある意味では大変シンプルな考え方です。

ニワトリタマゴの例では、神が最初に鶏を創ったことになり、これは聖書にも記載されているそうです。

それでは神様は一体どこから来たのか、という疑問に昇華していきそうですが、宗教的見地ではこれは愚問とされるでしょう。

なお、日本人に馴染みのある仏教では、この世は常に輪廻転生、継続的な繰り返しの中にある、とされていますので、そもそも

最初という概念がありません。面白い思考ではあるのですが、それを言ってしまうと話が進まない気がします。

日本国において影響力が大きいもう一つの宗教、神道では、菅原道真のように、人が神格化されているので、この手の生命の起源についての言及は、あまり見当たりません。

 

賢人による世界観 命題への解答 ②科学的見解 

それでは、史上常に対立してきたと言っても過言では無い、宗教的立場の双璧のもう一方、科学的見解としては、どのように解釈されているでしょうか。

人は神が創造したものという、宗教全盛当時、主流を占めていた思想に真っ向から反旗を翻したのは、やはり進化論でしょう。

遺伝子の動きとして、基本的は自らのコピーを作り出し次に繋げていくものの、時に突然変異を起こし、時代に合わせた進化を

遂げてきた、という考え方です。

様々な研究から、現代ではこの論が支配的であると言えます。

キリンの首が長いのはなぜかと言えば、自分の遺伝子を残していくためには高いところにある食物を摂取することが有利であり、また結果として首の短いキリンは生物界の生き残り競争に敗北、淘汰されていきました。

微生物から始まり、徐々に進化を遂げていき、今の生物の姿がある。

最近の若者は筋力が落ちている、と言われていますが、これも進化であり、不要な能力は削られていくという形なのかもしれません。

進化論では、変異により固有の生命が誕生したという立場なので、ニワトリタマゴの例では卵が先になります。

変異が発生するのは卵の中であり、鶏の幼体である雛が誕生する時には、環境に対応した生存競争に有利な個体となっています。

したがい鶏という一生物の誕生は、卵が孵化する時点、遺伝子の突然変異反映済の状態となり、そのためには当然母体となる卵が先に存在しなければなりません。

 

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生命の起源や命の誕生の祖となるものは意識? 

上記のような経緯を経て、議論が繰り返されている状態ですが、最近の研究によって、進化論では説明がし切れない現象が生じていることがわかってきました。

いくら突然変異により生物が進化してきたと言っても、程度の問題として、あり得ないぐらいの大幅な変化、もしくは進化が見られるというのです

。その顕著な例が、私たちの臓器の中に常に存在している「大腸菌」です。構造の調査や機能の分析によって、驚くべき事実が判明しています。

時に私たちの健康を脅かす大腸菌は、長い尻尾のような、鞭毛と呼ばれる器官を有しています。

鞭毛を使って大腸内を動き回るのですが、この尻尾が非常に高性能であることが最新の研究で分かっています。

車でいうところのモーターであり、仕様として、回転速度は驚異の一秒間1,500回転、エネルギー変換効率ほぼ100%という超優良機械部品の様相です。

他方、私たちの意識を司る脳は、電気信号のやり取りで物事を考えたり、感情の起伏を生じさせたり、または体の各器官に指令を送ります。

これもまた長年の研究からわかってきたことですが、複雑そうに見えて、構造としては意外にシンプルではないかと言われています。

大腸菌は設計された部品、脳はその設計を指示する電子回路、と仮定すると、どちらが先に存在しなければならないかは自明の理です。脳、即ち意識が先にあって、命を生み出したことになります。

生命の起源に言及すると、最終的にはこの世、宇宙誕生の仕組に行きつきます。意識が生命の源とするならば、私たち人間が決して至ることのない、大きな宇宙としての意思が存在するかもしれません。

それを神と呼称するならば、宗教的な見解は強ち間違った考えではなく、進化論のライバルにふさわしい科学的背景を持つ、とも解釈できますね。

 

いかがでしたか?
脳が先にあって体が作られる、意識があって命が生み出される、という論説は、考察対象として大変魅力的であると言えます。今後も様々な研究により、徐々に判明していくことでしょう。人類滅亡が先か、生命起源の解析と証明が先か、賢人たちの活動を注視しながら考えを巡らせることも、時には良いのではないでしょうか。

 

参考 : wired, wikipedia, など

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