異星人は地球までやってきていると思いますか。
まだ火星にすら足をつけたことのない地球人からすれば、どこか遠い星から地球に訪れることができる異星人は、人類より進化した生命ではないかと想像してしまいますよね。
実際に、人類の文明の中でどのようにして作ったかわからないようなものや、オーパーツと呼ばれる謎の遺物が発見されたりしていることから考えると、高度文明を持った異星人は地球にやってきていると考えられます。
インターネットが普及した今日、異星人に関する情報は、色々と発信されています。
海外の掲示板「Reddit」では、「異星人が地球に来た事を証明する5つの出来事は?」というスレッドがたち、集められた情報から、これぞ 地球に来た証拠だというもの5つが選ばれました。
今回は、その5つの証拠を見ていきたいと思います。
オーストラリアでのUFO目撃事件
1966年4月6日、オーストラリアのウェストフォールでは、約20分に渡りUFOが目撃されました。
教師と学生合わせて350人以上の人が、UFOを目撃したのです。
現場に居合わせた理科教師のアンドリュー・グリーンウッド氏は当時を振り返って話しをしています。
空飛ぶ円盤が外を飛んでいると言い、生徒が酷く興奮し教室に駆け込んできました。
最初、生徒がおかしくなったと思ったのですが、しつこく主張するので私も外に出て自分の目で確かめたのです。
生徒たちが見つめる先を見ると、北東方向の電線近くに円盤が見えたのです。
自家用車ほどの大きさをした円盤は、学校近くの芝生に一度着陸し、その後再び上空に飛翔するとホバリングをしていました。
しばらくすると、UFOの周りを囲うように別の飛行体が5体現れ、UFOを追いまわしはじめたのです。
5体の飛行体はUFOに近づこうとすると、UFOはゆっくりと加速した後、急激に加速するような動きをし、遊ぶように逃げていました。
約20分その光景は続き、上空に舞いあがると消えてしまったのです。
その後、円盤が着陸した芝生を確認すると、焼け付いて黒くなっていました。
2日後、ヴィクトリア州にある空飛ぶ円盤研究会は、焦げた跡を確認しに訪れ、さらにその次の日には、軍関係者とオーストラリア超常現象研究会も、聴き取り調査に訪れ、土壌サンプルも採取して帰りました。
ですが、今日までその真相は明らかになっていないのです。
オーストラリア政府はUFO説を否定したのですが、350人もの人が目撃したUFO事件であり、隠し通すことは不可能でした。
アメリカ軍 VS UFO ロサンゼルスでの戦い
真珠湾攻撃から3ヶ月後の1942年2月25日、アメリカ軍はロサンゼルス市に突然現れた未確認飛行物体に対して迎撃戦を行いました。
太平洋戦争開戦後、日本軍はアメリカ西海岸付近で、潜水艦による貨物船などへの攻撃を行っていました。
事件の2日前にはサンタバーバラの石油精製所への砲撃作戦を行っており、アメリカ軍は警戒を強めていたのです。
25日深夜、レーダーに十数台の反応があり、日本軍の空襲と考え迎撃態勢に入ったのです。
この時、米陸軍は1,430発もの弾薬を使用し、飛行物体に攻撃を行ったのですが、謎の機体からの反撃は無く、また1機も撃墜することはできませんでした。
その後、突如レーダーから消滅しました。
結果的に飛行物体は、気象観測気球を日本軍と勘違いして過剰反応したことが発端だと結論づけられました。
当時の陸軍参謀長であるジョージ・マーシャルは、目撃した15機の飛行物体のことをルーズベルト大統領に宛てた”備忘録”に記録していました。
アメリカ海軍は「空襲は誤報であった」と言う見解を示したほか、戦後日本軍の記録を確認しても、当日の現場海域に進軍していた記録はありませんでした。
当時のアメリカでは、異星人の乗り物としてのUFOの概念は一般市民はおろか、軍部でも持っておらず、これが異星人の乗り物だとは認識すらされていませんでした。
現在でもその出来事は「ロサンゼルスの戦い」として語り継がれており、戦後UFOを信じる人々には、「異星人側からの初の交戦」として語られています。
イラン軍 VS UFO テヘランでの戦い
1976年9月、イランの都市テヘラン上空で、強烈な光を放つUFOが目撃され、レーダーでは非常に大きな物体が認識されました。
イラン王立空軍は、UFOに対し戦闘機2機を迎撃に向かわせました。
UFOに近づくと、計器や通信機器が作動しなくなり、引き返したのですが、UFOは追うように基地に出現し、管制塔からも目視できる位置に近寄ってきたのです。
それにより、基地管制塔の機器も動作不能に陥ったので、2機の戦闘機を再び飛行物体に接近させました。
その際の記録に、巨大な葉巻型をしており、赤やオレンジなど様々な色に変化する光を放っていたと残されています。
この飛行物体はスピードを調整し、戦闘機から安全な距離を随時保ちながら、飛行物体は小型の飛行体を射出しました。
飛行体は猛スピードで戦闘機に近づいてきました。
イランの戦闘機は対空ミサイルで迎え撃とうとすると、その途端に機器は操作できなくなりました。
それを確認したかのように、小型機は追跡をやめ、「母機」に帰還しました。
その後、この母機は周辺の砂漠地帯に着陸したのです。
イラン軍の高官たちは、このUFOは地球のものではなく、異星人の船という見解で一致したのです。
1977年にアメリカの情報自由法により、正式に資料が公開されました。
レーダーで確認され、信頼できる目撃者もおり、3人の異なる乗務員が電磁気によって同じような身体的影響を受けたこともあり「UFO現象を研究するための、あらゆる条件を備えた模範的なケースだ」という文言が、資料注釈に記されたのです。
ディスクロジャー計画での存在暴露
スティーブン・グリヤ博士は2001年5月9日、マーキュリー計画の宇宙飛行士であるゴードン・クーパー、アポロ14号の飛行士であるエドガー・ミッチェルの他、元軍人や元指揮官、元NASAの職員など30名近くを集め、UFOについての証言会を主催しました。
この計画では、いくつかの証言が語られました。
・異星人は中継基地を月に作っており、そこから地球に来ている
・アポロ計画の写真は、NASAによって修整され公開されている
・政府によりUFOの推進技術が極秘に研究・開発されている
・UFOテクノロジーは既に使われており、湾岸戦争でも使われた
・異星人とアメリカ政府とのあいだで密約が交わされている
・ケネディー元大統領の暗殺理由は、アポロ計画の真の目的の漏洩防止のため
月に立った6人目の男の証言
アポロ14号で月に行き、月面を歩いた6番目の男であるエドガー・ミッチェル氏は、アメリカ政府が異星人の存在を認識しており、それを隠していると主張しています。
話しの中で、1940年にアメリカ軍高級幹部が新兵器のテストを行っている際、UFOを目撃したこと、第2次世界大戦終戦直前の1945年7月16日に、ニューメキシコ州ホワイトサンズで行われた核兵器の実験でも目撃していると言っているのです。
ホワイトサンズは新しい核兵器のテスト実験場で、宇宙人は人類の軍事力に興味を示し、観察していたそうです。
戦後、太平洋沿岸でミサイル実験を行った際には、UFOによって頻繁に撃ち落とされたとも証言しています。
また、異星人は小さい体に大きな頭部と目を持った生命体だとも語っており、彼らの話しでは、私たちの科学技術はあまりにも幼稚であり、もし敵対しても地球人に勝ち目はないと言っていたとのことなのです。
異星人が地球に来ていたという証拠の話しとしては信ぴょう性が高そうな話ばかりでしたね。
UFOの目撃情報や異星人にまつわる話は色々と残されていました。
特に軍関係者によるUFO情報は多くあるようです。
真実かフェイクなのかはわかりませんが、今後も色々な情報が公開されるかもしれませんので、目が離せませんね。
コメント