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火星ブームの火付け役は100年前!? ~魅惑の火星地図とは~

火星ブームの火付け役は100年前!? ~魅惑の火星地図とは~UFO 異星人
火星ブームの火付け役は100年前!? ~魅惑の火星地図とは~

 

現在、火星の姿を明確なシルエットで見ることができますが、それは1960年代以降に、相当数の探査機が火星を訪れ、入手した地表の画像を元に研究が進められてきたからです。

2021年2月には、中国、アラブ首長国連邦(UAE)、そして米航空宇宙局(NASA)の新しい火星探査車がその歴史に名を連ねました。

探査機の精度向上により、火星の情報が少しずつ判明していく中ですが、「火星の地図づくり」というテーマが熱狂的に注目された過去があることをご存知でしょうか?

それはまだ探査機が存在しない、もっとずっと前のことでした。今回は、人類の「火星の地図作り」について見ていきましょう。

 

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火星の地図作り 

火星の地図を作りたい、という想いが最もヒートアップしていたのは、1800年代半ばでした。当時の望遠鏡に不明瞭に浮かび上がる火星を夢中になって眺めた天文学者たちは、自らの手で描写を重ねていました。

まだ写真の技術もなかった時代、このような手書きの地図以外に真実と思えるものは無く、その時代の人々を惹きつけていたのです。

しかしこれらの地図は、必ずしも客観的事実ではなく、作成者自身の希望的観測や先入観が写し出される事も多かったようです。

そして1800年台後半には、火星地図史上、最も注目すべき出来事が起こりました。

それは「天文学者らが両極端な2つの火星地図を提示した」というものでした。どちらも正しいということはあり得ないため、これは科学史における大きな挑戦でした。 

また、この論争を制した者は、その後長く続く火星ブームをもたらし、文学や映像など今日の文化に至るまで影響を及ぼしています。

 

相反する2つの地図とは? 

1800年代の終盤、天文学者たちが想定していた通りに火星が地球に大きく接近し、その状況は彼らが火星を詳しく観察することを容易にしました。

これは火星の表面を地図に落とし込む大きなチャンスでしたが、実際に行動に移すとなると多くの障害がありました。

そのような環境の中、地図作りをしている中に、英国のアマチュア天文学者ナサニエルがいます。彼は芸術を生業としていましたが、火星を長い間観測していました。

1800年代終盤の火星接近の際、ポルトガルのとある島にいました。

そこでは上空の大気が観測に適していることから火星がより鮮やかに見えやすかったため、2カ月間で40枚以上の火星のスケッチを描く事ができたと言われています。

彼は同僚の観察の様子と対比しながら自身のスケッチに手を加えながら、非常に詳細な火星表面の地図を制作しました。

その火星地図には、広大な平野と、盛り上がる大地など詳細に描かれていました。彼は従来の火星観測者らの方法を模倣しながら、それぞれの地形に名前を付けていったといいます。

もう一方の地図の書き手は、イタリアの天文学者であるジョバンニでした。火星をスケッチする方法は、ナサニエルとはまた異なる内容で、彼にとっては火星を観測するのは初めてだったそうです。

1877年から始めて半年以上の間、ジョバンニはミラノの建物の上で望遠鏡を使い、火星を慎重に描きとめ、さらにそこから手直ししていくというプロセスで描き上げたといいます。

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ジョバンニの地図 

ジョバンニの地図は学者的な観点というよりは、個人的な観測に基づいていました。彼の火星は、迷いのない実線で描かれ、青い不思議な直線的な水路が多数あり、それらがいくつかの島を包囲していました。

彼はこうした不思議な地形を名付ける時、地中海に伝わる伝説に因んでいます。2021年3月号のナショナルジオグラフィックでも「非常に勇気のいる発表であった」と関係者により語られています。

「自分の視界に入ったものが過去の観察の記録とは大きく違うので、そのままの名前を使うわけにはいかない。彼はそう考えたのです」

ナサニエルはジョバンニの解釈に反論し、互いに自分が描いた地図の正しさを証明しようと、自分の地図こそが正しく客観的なものだと言い張り論争を繰り広げるに至りました。

しかし、ナサニエルの地図は徐々に注目度が落ちていく一方で、ジョバンニの地図は、当時噂になった宇宙の説話を支持する役割を果たしたのです。

ジョバンニの地図は、人々にとって魅力的に映っていました。ナサニエルの地図にはなかった描写がされていたからだと考えられます。

さらに、地形が鮮明に描かれたジョバンニの地図には、漠然としたナサニエルの地図よりも、“確からしい”と思わせてしまう力があったのです。

そして、何よりジョバンニはプロの天文学者でした。情報が少ないように見えるナサニエルの地図の方が火星をより正確に描写していると考えるのは難しいことでした。

地名、線の色、地形の間の明確な線などが、感覚的に正しいと思わせたのか、最終的にジョバンニの地図が決定版とされています。

 

火星マニアが作り上げた地図 

ジョバンニの地図は、この上ない火星マニアであったパーシバルの想像力をも刺激しています。ジョバンニは、火星にある線が人工的なものだとは主張せず、反対意見を主張することもありませんでした。

パーシバルは「水路」を、“宇宙人の創造物”であると考えました。1894年、パーシバルは米アリゾナ州郊外に天文台を建設し、火星が接近さえすれば、よりスムーズにスケッチができるようにしました。

そして同じ年の後半には、火星を懸命に観察し、表面の特徴を自分の地図に描き込みました。

パーシバルは新たに100本を超える水路を見つけ、それらは火星の両端から乾燥した地帯に水を送る大規模な“水路ネットワーク”を構成しているだと考えました

彼らは、大衆に「宇宙人は存在する」と信じさせるような魅惑的な物語を構築しました。 

 

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探査機を導く現代の火星地図

20世紀に入ってしばらくすると、火星に対する私たちの見方は変わっていきました。

写真に撮られた火星は、これまで想像していた火星像を払拭し、慎重に描かれたかつて現実のものとは認識されなかった“ナサニエルの地図”にずっと近い、陰影のあるぼやけた地表の様子を明らかにしていたのです。

そして、20世紀半ばにやってきた宇宙時代には、多くの探査機が火星表面の画像を間近で撮影し、さらに緻密な観察を可能にしていきました。

このようにして、かつて人類が宇宙人の存在を夢見た魅惑の土地は、単調で湿度の少ない不毛地帯として本来の姿を見せたのです。

米地質調査所(USGS)のロビンは、惑星の地図を作成する精度が、人類の進歩とともに格段に進化してきたこと、望遠鏡を通して形成されたあらゆる火星の概念が段階を経て180度変わり、火星の姿についての全く新しい視点が得られたことを強調しています。 

2月18日、NASAの探査車「パーシビアランス」が火星に着陸する際にも、ロビンらのチームが作成した2つの詳細な火星地図が重要な役割を果たしました。

これらの地図は、探査車が着陸するクレーター内の巨大な楕円形を描いたものです。楕円の中には、安全に着陸できない場所もあり、安定しない岩場や崖のような場所など、安全ではない場所には目印がしてあります。

火星の薄い大気圏をパラシュートで降下する際、パーシビアランスは5つの異なる高度から画像を撮影し、搭載している地図と比較します。

このように学習した情報を元に自動でルートを調整し、目印のある危険なエリアを避けて安全な場所に着陸しました。

ロビンは、この技術によって着陸の精度に革命がもたらされたと話し、危険が楕円内により多く存在していたとしても、着陸が可能になったことは現代の成果であると強調しています。

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人類の未来をも映し出す? 

しかし現代の火星地図がもたらすのは、こうした科学的な恩恵だけではありません。私たちが火星における人類の未来を想像するのにも役立っているのです。

例えば、小説家アンディ・ウィアー氏が火星にまつわる映画を書いた際、彼を興奮させたのは、これまでのNASAの探査車が火星の地上から撮った70万枚の画像ではありませんでした。

「地表の画像は素晴らしく、広大な荒れ地を見渡す、主人公マークになったような気分を覚えました」とウィアー氏は言います。

「しかし、私が本当に気に入ったのは周回機が撮った画像から作った地図です。火星地図上で彼の旅の計画を立てるのが非常に楽しかったのです」

 

いかがでしたか?
100年以上前に熱い情熱が注がれた同じテーマに、現代の技術と想像力が合わさって再び人々を夢中にさせていることは、まさに宇宙のロマンと言えるのではないでしょうか?今後さらに宇宙が鮮明になることを楽しみに、人類の進歩に期待していきましょう。
参考 : National Geographic, など
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