ブログ記事をYouTubeでらららが配信しています!

スエズ運河の歴史と重要性 ~座礁事故から垣間見えた現実~

スエズ運河の歴史と重要性 ~座礁事故から垣間見えた現実~地球
スエズ運河の歴史と重要性 ~座礁事故から垣間見えた現実~

 

スエズ運河は、地中海と紅海を経由して北大西洋と北インド洋を結ぶ人工海面水路で、1859年から1869年にかけてスエズ運河会社が建設、1869年11月1717日に正式に開通し、現在はエジプトの国営スエズ運河庁によって運営・維持されています。

このスエズ運河には複雑な歴史があり、地政学的にも重要性が高く、経済的・軍事的な利害関係も絡んで様々な国が幾度となく対立や戦争を起こしてきた場所でもあります。

今回は、大型コンテナ船「エヴァーギヴン」が起こした座礁事故によって、改めて注目を集めたスエズ運河について解説します。

 

LALALAちゃんねる!の動画で見る
スポンサードリンク

 

スエズ運河の概要

スエズ運河は、北の地中海から南の紅海を結ぶ全長193.3キロメートルの人工運河です。運河自体は双方向通行となっていますが、船が行き違う場所は5カ所に限定されています。

スエズ運河によって北大西洋と北インド洋がつながることから、アフリカ大陸の周りを航行することなくヨーロッパとアジアを行き来でき、航行距離大幅な短縮を実現しています。

このため、アジア・中東とヨーロッパの間で石油をはじめとする様々な輸出入品を迅速に運ぶことが可能となっています。

 

スエズ運河は古代からの夢

人類が船を駆使して地球規模で移動を始めた「大航海時代」、ヨーロッパの国々からアフリカ大陸南端の喜望峰を通ってアジアへ向かう「インド航路」や、ヨーロッパから大西洋を回ってアジアを目指す「西回り航路」などが開かれました。

特にアジアはヨーロッパには無い香辛料や茶葉、貴金属などを豊富に産出していたことから、17世紀初頭にはアジアとの交易を目的とした組織が作られるようになりました。

ヨーロッパからアジアに向かう航路は、アフリカ大陸南端の喜望峰を通るルートが一般的でした。

ただ、アフリカ大陸がユーラシア大陸に接する砂漠地帯「スエズ地峡」に水路を作り、北の地中海と南の紅海を運河で結ぶという計画は、古代エジプトの時代からあったようです。

スポンサードリンク

 

古代エジプト時代に完成した「ファラオの運河」

古代エジプト王朝の時代、地中海と紅海を運河でつなぐ計画が何度か立てられていたと言われています。

それは、地中海に流れ込むナイル川を活用して運河を掘り、湖や湿地を経て南の紅海へつなげるという計画だったそうです。

古代エジプト末期、第26王朝・ネコ二世がこの運河の建設を企画しましが、完成しませんでした。しかし、第 27王朝のダリウス一世が運河の建設事業を再開し、ついに「ファラオの運河」を完成させたのです。

しかし、この運河は砂漠の中に作られたため、すぐに砂が堆積してしまう上、その王朝の衰退などの影響で維持ができなくなり、紀元前1世紀の頃には航行不可能となり、再び地中海と紅海は長い間、隔てられることになりました。

 

スエズ運河建設を推進したフランス

その後、スエズ運河建設が再び具体的に検討されるようになったのは、1789年のナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征の時でした。

しかし、当時行った事前調査では、地中海と紅海の海面の水位差が約10メートルもあったため、多額の建設費用と長い工期が必要になると考えられ、運河の建設は頓挫したのです。

それから数十年が経過し、地理学者ポーラン・タラボらが この地を詳細に測量した結果、地中海と紅海に実質的な水位の差が無いことが証明されたのです。

そして1859年、スエズ運河建設の起工式が行われ、工事が開始されました。

しかし、工事開始当初の運河の開削はほとんどが人力で行われ、進行が非常に遅かったのですが、建設工事に蒸気機関を投入した結果、1869年にスエズ運河が完成し、開通したのです。

スポンサードリンク

 

イギリスの介入から第二次中東戦争(スエズ危機)勃発まで

スエズ運河の建設が始まると、東方貿易を独占していたイギリスは海上運送の支配力を失うことを恐れて、様々な手段を講じてスエズ運河の建設に反対、妨害工作をしていたそうです。

しかし、スエズ運河開通後、その地政学的な重要性と経済的・軍事的な利点を把握していたイギリスは、1875年、エジプト政府が累積する対外債務のために やむを得ず手放すこととした スエズ運河会社の株式を購入し、44%を保有する筆頭株主となり、スエズ運河の実質的支配権を握ったのです。

以降長期間にわたってイギリスはスエズ運河の支配権を握り続けてきたのです。

ところが1956年、エジプトのガマール・アプドゥル・ナセル大統領がスエズ運河を国有化して、その管理をスエズ運河庁へ移管させる宣言を行いました。

これに対し、スエズ運河の支配権や使用権を失うことを危惧したイギリスはフランスとイスラエルと密約を結んで軍事行動を起こし、第二次中東戦争(スエズ危機)が勃発したのです。

しかし、イギリスはアラブ諸国や反植民地主義世論から厳しい批判を受け、スエズ運河の支配権を取り返すことはできませんでした。

 

第三次・第四次中東戦争によるスエズ運河の封鎖

1967年、第三次中東戦争の勃発によってスエズ運河は8年間に渡って封鎖、通航不能の状態が続きました。この時のスエズ運河の封鎖によって15隻の船が運河内に閉じ込められたのです。

1974年にスエズ運河の機雷排除作業を行い、1975年に通航が再開されたのですが、閉じ込められていた船の内、航行可能だった船は2隻だけだったそうです。

スポンサードリンク

 

スエズ運河の重要性

スエズ運河は、運営・維持しているエジプトはもちろん、ヨーロッパやアメリカ、ロシア、中国など、多くの国にとって地政学的、経済的・軍事的な重要度が高くなっています。

エジプト政府にとってスエズ運河はハードカレンシー獲得の重要な財源でもあり、その額は年間5600億円から6700億円にもなるそうです。

エジプト政府の関係者は、多額の資金を投資してスエズ運河の拡張と新水路の建設を進め、航行量を増加させ、2023年までに年間の収益を倍以上にしようと計画しているようです。 

 

スエズ運河で座礁した大型コンテナ船 

スエズ運河庁によれば毎日約50隻の船がスエズ運河を航行していて、この数は世界の総船舶通行量の約8%に当たるそうです。

そうした中、2021年33月24日、中国からオランダへ向かっていたパナマ船籍の大型コンテナ船「エヴァーギヴン」号が、スエズ運河の両岸の砂地に挟まるという非常に珍しい事件が発生したのです。

まれに運河を航行中に動力や制御を失った場合は、どちらかの岸辺の砂地に乗り上げて、原因を調べたり修理したりすることもあるそうですが、その間は他の船の航行に影響が出ることは無いと言います。

ところが、「エヴァーギヴン」号は、高く積み上げたコンテナが強風を受けて帆のような働きをしてしまい、そのまま押されて船が運河の両岸に対して直角になってしまったそうです。

 

スポンサードリンク

 

新型コロナウイルスの影響

今回の事故は、巨大化する船舶を使うコンテナ海運事業について、新たな問題を提起しています。現在、新型コロナウイルスの世界的大流行によって海路輸送の需要は急激に高騰しています。

多くの需要に応えるため、船会社は「エヴァーギヴン」号のような巨大船舶に相当な数のコンテナを積み込み、稼働しているのですが、同時に海運業界では2020年後半から2021年の短い期間に海で喪失した積荷は例年よりも多くなっているそうです。

 

いかがでしたか?
今回の座礁事故は、日本人にとって決して他人事ではありません。日本は資源小国ですから、原油などをアラブ諸国から輸入しています。スエズ運河の通航が不可能になれば、原油などのエネルギー資源の輸送も滞り、世界経済はもちろん、日本経済への大きな影響が懸念されます。
スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました