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純国産OS TRONにまつわる陰謀 ~アメリカが恐れた日本の技術~

純国産OS TRONにまつわる陰謀 ~アメリカが恐れた日本の技術~科学
純国産OS TRONにまつわる陰謀 ~アメリカが恐れた日本の技術~

 

1985年8月12日の夜、群馬県に日本航空のジャンボ機JAL123便が墜落しました。

乗客乗員524名のうち520名が死亡する史上最悪の大惨事となり、後に日航ジャンボ機墜落事故と呼ばれることになる航空機事故ですが、実はその裏側には深い闇に包まれた秘密があると言われています。

今回は、その秘密についてご紹介します。

 

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日航ジャンボ機墜落事故とは

1985年8月12日の夜に「ジャンボ飛行機が行方不明」という ニュース速報がテレビで流れました。

その後、数日間ニュース番組のトップニュースとして報道が続き、最終的には524名の乗員乗客のうち520名が死亡し、生存者はたったの4名という史上最悪の大惨事となりました。

この被害者数は、単独事故では歴史上最多を記録しており、事故の原因は、飛行機後方の垂直尾翼破壊によるものとされています。

 

疑惑の事故調査報告書

実は、その事故の原因とされている垂直尾翼の破壊ですが、その原因に疑惑があがっています。1987年6月に発表された事故調査委員会の調査報告書によれば、事故の原因は次のように記載されています。

「事故が発生したJAL123便は、事故の7年前の1978年着陸時に機体後部が滑走路と接触して破損する事故を起こしていたが、その時のアメリカボーイング社の修理が不適切だったため、圧力隔壁に亀裂が発生し、そこから客室内の空気が流出して垂直尾翼が破壊された。」

しかしながら、この報告書については、当時から異論があったようです。内容的にも疑問符がつくものであった上、あまりに結論が急がれた報告書だという非難も一部からありました。

なにより、事故の原因としている垂直尾翼が発見されていないままになっており、そのことが色々な疑惑を深めています。

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事故にまつわる不可解な出来事

この事故については、事故の発生からその後の処理にあたるまで、いくつもの不可解なできごとがありました。まず一つ目は、事故発生時のボイスレコーダーの音声です。

ボイスレコーダー音声では、2度の爆発が発生した後に機体の異変が起こっていることが読み取れます。

その音声に、事故直前の目撃者の証言や写真などの情報を組み合わせると、事故直前に機体への衝突物があったと推測できるという意見があります。

この衝突物の存在は、先にお伝えした事故報告書の内容とは整合性がとれないものです。

さらに、被害した乗客乗員の救助開始まで16時間という、通常では考えられない時間がかかっているのですが、その救助開始の前から自衛隊のヘリコプターが現地を飛行していたという目撃者からの情報や、そのヘリコプターのプロペラ音を聞いたという生存者の証言があります。

それだけではなく、事故発生から墜落までの間、JAL123便を自衛隊のファントム機2機が追従していることも目撃されています。

このことだけでも、自衛隊がこの事故に関して何らかの関係をもっていることは推測されるのですが、その後、自衛隊でこの件に関わった人の自殺が相次いだことが さらにその疑惑を深くしていきました。

 

ボーイング社への責任追及

事故調査報告書にその不適切修理が原因と記載された アメリカのボーイング社ですが、どういうことか 事故調査には非協力的でした。

その責任追及については、アメリカとの司法の壁が大きく立ちはだかり、結局不起訴処分という結果になりました。

「限界まで事故の原因を追究すれば、戦争は免れない。」当時、前橋地検で事故を担当していた山口検事正は、異例と言われた原告遺族向けの説明会を開催し、そう述べたそうです。

さらに、当時総理大臣に就任していた中曽根氏は、この件に関する秘密は墓場まで持っていくと言ったという説まであります。

そういった話に加え、徹底した情報統制が引かれていた当時の状況も踏まえると、日本又はアメリカ、もしくは その両政府がこの事故に関係しているという噂は、単なる噂で終わらせられるものではないかもしれません。

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TRON(トロン)プロジェクト

事故と時を同じくする1985年当時、世界ではマイクロソフト社の「Windows(ウィンドウズ)」とアップル社の「Machintosh(マッキントッシュ)」がOS(オペレーティングシステム)として勢力の拡大を始めていました。

アメリカでは、軍事技術から発生した「インターネット」をはじめ、コンピューターソフトウェア技術により、世界の情報社会化のリーダーになるべく 技術革新が進められていたのです。

そんな中、日本国内では その流れに待ったをかけるべく、日本製OS「TRON(トロン)」を開発するプロジェクトが進められていました。

そのOS名を冠した「TRONプロジェクト」は順調に成果を重ねており、完成すればWindowsの10年先を行くものになると言われていました。

日本製のOSが世界を席巻する。そんな日本にとって輝かしい未来が目の前にある状況でした。

 

TRONとJAL123便

日本にとっては輝かしい状況である一方、アメリカにとっては経済的にも国防的にも重大な事態であったことは間違いありません。

OSがコンピューター制御の中核技術である以上、その開発で世界をリードすることが、あらゆる意味で その後の世界の覇権を掌握することにつながるのは 明らかだったからです。

実は、事故が発生したJAL123便には、TRONプロジェクトの中核を担っていた17人の天才エンジニアが搭乗していました。

アメリカ軍がJAL123便を撃墜した証拠はどこにもありませんが、当時のTRONはそういったことを想像するのに無理がないほど、日本にとって重要で、アメリカにとっては危険なものでした。

事故により、17人の中核メンバーの命が失われた結果、TRONプロジェクトは大きく減速し、その後の世界ではWindowsがシェアを独占していきました。

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その後の日米関係

日航ジャンボ機墜落事故の1ヵ月後の1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルにおいてプラザ合意が結ばれました。

プラザ合意により、アメリカの貿易赤字解消のため、1ドル約260円から150円程度まで円高ドル安に為替レートが変動し、日本経済は大きな混乱に陥りました。

その対応に追われた日本は、バブル経済の発生とその崩壊を招き、その後の失われた30年に向かっていきます。

さらに、1989年にはアメリカが日本に対し貿易不均衡を主張し「スーパー301条」と呼ばれる強硬的手段に出たとき、TRONが槍玉に挙げられます。

日本政府がTRONを支援することは、市場介入にあたるといった理由で、TRONの息の根を止めにきたのです。

これは、アメリカがTRONを恐れていたことのなによりの証拠ですが、経済対策により疲弊していた当時の日本政府にそれを跳ね除ける力はなく、TRONは衰退の道をたどって行く事になりました。

 

いかがでしたか?
多数の犠牲者を出した1985年の日航ジャンボ機墜落事故は、純国産OS開発プロジェクトの中核メンバーも搭乗していました。結果的に、この事故が起点となりWindowsがコンピューター世界の確信を起こし、現在の情報化社会に繋がっています。事故への関与については、紹介させていただいたような 様々な説が飛び交っていますが、決定的なものはありません。実は、TRON自体は現在も生き残っており、トヨタ自動車で採用されるなど、少しずつですが技術の芽は育っています。いつの日か、日本製OSが世界を席巻する。そんな未来を見てみたいものですね。
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コメント

  1. 上野 より:

    こういう陰謀論を書くのなら、MS-DOSやDISK-BASICがいつ日本に入ってきて当時どれだけのシェアがあったのか、Windowsがいつ発売されたのかを調べてから言ってほしいね。
    日航機に17名の技術者の元ネタは2010年に遺族が出した本に「松下電器の関係会社含め17名が犠牲になった」って記述を、阿修羅が妄想膨らましまくったトンデモだから言う気にもならんわ。

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