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エジプトで発見された160基のミイラの棺 ~棺に刻まれた呪い~

エジプトで発見された160基のミイラの棺 ~棺に刻まれた呪い~ 科学
エジプトで発見された160基のミイラの棺 ~棺に刻まれた呪い~

 

数千年前、支配階級や聖職者らが埋葬を望んだ神聖な場所であるサッカラの墓地に、色鮮やかな模様や緻密な装飾が施された木棺に安置され、埋葬された古代エジプト人たちがいました。

2020年9月以降、エジプトの首都カイロ近郊のサッカラ遺跡から、埋葬後に未盗掘だったこれらのミイラの棺が160基も新たに発見されました。

棺には、墓泥棒による盗掘を防ぐため、護符のように「呪いの言葉」が刻まれているものもあるそうです。今回は、ミイラにまつわる呪いについて、ご紹介いたします。

 

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「呪いの言葉」を墓に刻む目的

カイロにあるアメリカン大学でミイラの分析をしているエジプト学者、サリーマ・イクラム氏によると、ミイラの墓に「呪いの言葉」を刻むのは、盗掘のために墓を暴き、安置しているミイラを冒涜する墓泥棒に警告することが目的だと言います。

 

「幽霊を見る恐怖」で墓泥棒に警告

実際の「呪いの言葉」は、第六王朝の最高位官アンフマホールの墓に見ることができます。

彼の墓は「マスタバ」という平らな屋根と傾斜した側面を持った長方形の形をした古代エジプトの墓の一種で、ギザのピラミッド付近を始め、エジプト中で見られるものです。

アンフマホールの墓を守るために刻まれた「呪いの言葉」は、墓泥棒に対して財産を失うなど同様の報いがあるだけでなく、最高位官が持つ魔術などの秘術によって、幽霊を見る恐怖に苛まれるとも警告しています。

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古代エジプト人が考える「死後の世界」

古代エジプト人にとって、ピラミッドやマスタバなどの墓は「死者の家」と考えられていたようです。

「死後の世界」での生活を思い描き、素晴らしい装飾を施した墓を作り、人生の様々なシーンを描いたのであろうと考えられます。

そのため、墓を暴き、死者と共に埋葬された豪華な副葬品を盗んだ者は、鞭打ちや鼻削ぎなどの罰を受け、盗品を返還させられたのです。

ただ、アンフマホールの墓には、平和に暮らす正直な者は冥界の王オシリスの裁きで守られるという言葉も刻まれています。

 

「ミイラの呪い」の発端

1922年、考古学者のハワード・カーター氏がツタンカーメン王の墓を発掘してから約5カ月後、発掘隊のメンバーで財政支援をしていたジョージ・ハーバート氏が変死しました。

彼の死因が、ミイラが安置されていた玄室に存在していた有毒性の菌に感染したことが原因であると考える研究者がいたことから「ミイラの呪い」という言葉と共に、ミイラが安置されている棺や墓が古代の危険な病原菌に汚染されているという噂が広まったようです。

しかし、ツタンカーメンの墓には「呪いの言葉」は刻まれていませんでしたし、ハーバート氏の死因は、詳しい調査によって、蚊に刺された痕を傷付けたことによる菌血症だったことが判明しました。

「ツタンカーメン王の呪い」の9人の犠牲者

1922年11月、古代エジプト第18王朝のツタンカーメン王の墓が発見されました。

この発掘に携わった人々は「王の永遠の安らぎを邪魔した者」とされ、全員に強力な呪いがかけられたと噂され、彼らの不遇や死亡の理由はすべて「ツタンカーメン王の呪い」によるものだと言われたのです。

噂として広まった話は徐々に大きくなり、マスコミなどの喧伝の影響を受け「王家の呪い」という信仰にまで到達しました。ここでは「ツタンカーメン王の呪い」の9人の犠牲者について紹介しましょう。

 

第5代カーナヴォン伯爵 ジョージ・ハーバート(イギリス人貴族)

最初の犠牲者は、ツタンカーメン王の墓の発掘に資金援助をしていた第5代カーナヴォン伯爵 ジョージ・ハーバート氏でした。

墓の発掘から間もなく、彼は蚊に刺された頬の腫れ痕を髭剃りの時に誤って傷付けてしまい、その出血の際に菌血症になって死亡したのです。

ただ、墓の発掘から間もなく死亡したため、「ツタンカーメン王の呪い」として巷間(こうかん)に広がったのです。

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ブルース・インガム(イギリス人編集者)

「ツタンカーメン王の呪い」は、直接の関係者だけに影響を与えただけではありませんでした。

編集者のブルース・インガムは、ツタンカーメン王の墓を発見したハワード・カーターの友人で、彼から土産としてもらったミイラの手を文鎮として使っていました。

その手には、「私の体を動かす者は呪われる」と彫られたブレスレットが付いていたそうです。インガムがこの土産を受け取って間もなく、彼の家は火事で焼け落ち、建て直している時に洪水に見舞われたそうです。

 

ジョージ・ジェイ・グールドⅠ世(アメリカ人実業家)

アメリカ人の実業家であったジョージ・ジェイ・グールドⅠ世は、1923年にツタンカーメン王の墓を見物に訪れ、その後すぐに具合が悪くなり、回復することなく、数ヶ月後に肺炎で亡くなりました。

 

オーブリー・ハーバート(第5代カーナヴォン伯爵の義弟)

前出の第5代カーナヴォン伯爵の義弟というだけで「ツタンカーメン王の呪い」を受けたと言われています。

オーブリーは、目の疾患の原因が歯にあると医師に言われて歯科手術を行い、これが原因である敗血症で死亡しました。

 

ヒュー・イブリン・ホワイト(イギリス人考古学者)

ツタンカーメン王の墓を訪れただけのようですが、「私は呪いのために倒れ、呪いのために死す」という遺書を残して自殺しています。

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アーロン・エンバー(アメリカ人考古学者)

代カーナヴォン伯爵と親しかったアーロン・エンバーは、1926年にボルティモアにあった伯爵の家の火事で死亡しました。

一度は無事に脱出したものの、執筆中の本の原稿を取りに、炎の中に戻ってしまったのです。そして、その原稿は「エジプトの死者の書」という題名だったのです。

 

リチャード・ベセル(第5代カーナヴォン伯爵の秘書)

リチャード・ベセルは、ツタンカーメン王の墓が開かれた時、ハワード・カーターに続いて2番目に墓に入った人物でした。彼は、発掘から7年後の1929年に、ロンドンの会員制クラブの個室で窒息死したのです。

 

 

アーチボルト・ダグラス・リード(放射線科医)

ツタンカーメン王のミイラをX線で撮影し、博物館へ送った放射線科医のアーチボルト・ダグラス・リードは、撮影の翌日に体調を崩し、3日後に未知の病で亡くなったそうです。

 

ジェームズ・ヘンリー・ブレステッド(アメリカ人考古学者)

有名なエジプト学者で、ハワード・カーター氏が ツタンカーメン王の墓を開いたときに一緒に作業していました。ブレステッド自身は1935年まで生きていましたが、エジプトへの旅の直後に死亡しました。

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「ツタンカーメン王の呪い」が届かなかった人物

ツタンカーメン王の墓を発見し、発掘の指揮を執っていたハワード・カーター氏は、原因不明の病気にも罹らずかからず家が火事に見舞われることも無く、発掘から17年後の1939年に64歳で亡くなりました。

50年近くの年月をエジプトでファラオたちの墓探しに費やし、墓所(ぼしょ)の発掘の日々を過ごした彼は「ツタンカーメン王の呪い」など信じず、戯言だと一蹴していたと言います。

「ツタンカーメンの呪い」も、古代エジプトをめぐる、壮大なロマンのひとつと言えるのかもしれません。

 

いかがでしたか?
今回、発見された多数の像やミイラは、エジプト国内の複数の博物館に移され、様々な研究が行われるそうです。また、サッカラでの発掘は継続されるそうで、今後も更なる遺物が見つかる可能性があります。「ミイラの呪い」は存在しないかもしれませんが、知的なロマンが詰まっていると言えるでしょう。 
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