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古代の巨大地下都市 ~カッパドキア 謎多きデリンクユ~

古代の巨大地下都市 ~カッパドキア 謎多きデリンクユ~雑学
古代の巨大地下都市 ~カッパドキア 謎多きデリンクユ~

 

世界遺産であるトルコの「カッパドキア」は、奇妙な岩が立ち並ぶ、非常に幻想的な場所です。 

1963年、トルコの中央にあるネブシェヒルの民家の壁の奥から、入り組んだトンネルが発掘されました。  

これは、アナトリア高原の火山から成り立つカッパドキアの一部、「デリンクユ」の地下都市です。トンネル内を進むと、通気口や井戸など生活に必要なものが設けられていました。  

今回は、歴史と謎に包まれ何世紀もの間埋もれたままだった、この地下都市の歴史や特徴をご紹介いたします。 

 

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カッパドキアの地下都市デリンクユ 

地下都市デリンクユは何世紀にも渡って多くの民族に占領されてきましたが、誰がこの都市を建設したかという点については諸説あります 

この都市が発展したのは、西暦330年から1461年のビザンティン時代だと考えられているのです。 

この時代、デリンクユはマラコペアという名で呼ばれており、初期のキリスト教徒が一部のイスラム教徒の迫害から逃れるためにこの都市のトンネルを避難場所として利用していました。 

やがて、シェルターとしての必要性は薄れ、支配者が変わる度にデリンクユのトンネルの使われ方は変わっていったのです。 

そして、資源が地表へ運ばれるようになるとトンネルの利用は減り、物を保管する場所として使われるようになりました。 

また、2世紀から3世紀にローマ帝国がキリスト教徒を迫害した時は、デリンクユの地下都市としての役割は再び大きくなり、トンネルも拡張されたのです。 

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デリンクユの特徴 

デリンクユは地下8階建てで、地下85mの位置に広がっています。そこは、現時点で発見されている地下都市の中で最も深い部分です。 

考古学者らこの都市が18程の層に分かれていると推定しており、発掘作業は今後も続くのです。この都市のトンネル内部完全なる暗闇であり通路は戦略としてあえて狭くしてあるのです。 

そのため侵略者は縦1列に並びこの延々と続く暗闇を這って進まなくてはなりません 

トンネルはあまたの部屋につながっていますが、部屋は数万人の人が入る程広く、内部には食堂教会、家畜小屋、武器の倉庫、果てはワインセラーまであったのです。 

更には、地上の住民が逃げ込んできた時も普段通りの業務に励めるよう、共有の会議室もありました。加えて、非常時のための脱出ルートも存在したのです。そして、驚くべき事に、臨時の墓地もあります。 

誰かが地下都市で亡くなった際、地上の墓地に埋葬できる程外の世界が平和になるまで、遺体を臨時の墓地に安置していたのです。 

地上からデリンクユへの出入口は地上の住宅の壁や中庭、茂みなど100ヶ所以上に及び、それぞれの階層につながっています。 

この出入口には、地下都市を地上の脅威から守るため直径1.5m、重さ500kg丸い岩のドア設けられているのです。 

デリンクユ特有のもの 

デリンクユ2階にある筒形の広い空間は神学校だったと考えられており、個人が学ぶためのスペースが残されています。 

3階と4階の間の階段は、約20m×9mの広さの十字型の教会につながっています。また、55mもの通気口は地上と地下両方の住民のための主要な井戸として使われていたようです。 

井戸は、最下層を流れる地下水で満たされていました。 

なお、地上の侵略者に毒を流し込まれないよう、水の供給は下の階から始まっていました。そのため、下のフロアでは上の階への水の供給を止める事もできたのです。 

また、3階には5kmものトンネルがあり、そこから近くの地下都市カイマクルに行く事ができました。現在はトンネルの一部が崩落しているため、通り抜けはできません。 

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地下都市デリンクユの歴史 

デリンクユの存在するカッパドキア火山活動が盛んなエリアで、この地はかつて火山灰に埋もれていました。 

そんな中、堆積岩の浸食により現在みられるような溶岩ドームや、ピラミッド状の岩が形成されたのです何千年も前に、ヒッタイト人と呼ばれる民族がこのカッパドキアに住んでいまし 

彼らは火山灰に埋もれた岩が他の岩よりも柔らか事に気付き、それを掘り部屋を作ったのです。 

そして、温度が一定に保たれているデリンクユの地下空間は、地上の厳しい気候から食料などを守る事ができます。倉庫として使われていた時期があるのはそのためです。 

地下トンネルの歴史と役割 

誰がいつ頃デリンクユの地下トンネルを作ったのかは定かではありません、トンネルの歴史についてはいくつかの説がありあます 

ヒッタイト人説 

1つ目は、紀元前15世紀フリギア人の襲撃を受けたヒッタイト人が、シェルターを構えるためにトンネルを掘ったという説ですフリギア人がヒッタイト王国の首都を壊滅させたという史実、このヒッタイト人説の裏付けとなっていますまた、トンネルからはヒッタイトに関連する遺物がわずかに発見されているといいます 

フリギア人説 

トンネルを掘ったのはヒッタイト人と敵対する立場にあったフリギア人だという説もあり、その時期は紀元前8世紀から7世紀とされています。 そして、トンネル内にあったヒッタイトの遺物は、フリギア人がヒッタイト人と争った際の戦利品だというのです

また、多くの考古学者は、フリギアの建築家たちは鉄器時代複合建築に携わっていたと述べます。それが本当であれば、フリギア人が入り組んだ地下空間を作り出したとしても不思議ではありません。 

加えてフリギア人は長らくこの地域に住んでいた事もわかっているので、彼らがデリンクユの地下都市を生み出したという説は有力です 

ペルシャ人説 

ゾロアスター教の経典アヴェスターの一部『ヴェンディーダード』には、「ペルシャ王イマが地下に宮殿を構え、人や家畜を住まわせた」という逸話が綴られています。 

しかし、ペルシャ人がトンネルを掘ったという説は、専門家の間では信ぴょう性が薄いとみなされていますなお、カッパドキアの地下都市に関する最も古い文献は、クセノフォンの『アナバシス』です 

そこには「アナトリアの人々は地下に構えた住居で暮らし、そこは何世帯者もの家族と食料、家畜を収容できる程広かった記されています 

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デリンクユ観光 

地下都市の名前であるデリンクユは、「深い井戸」という意味です 

かつて、都市の最深部を流れる地下水が減少した事で地上の町も水不足に陥りましたが、1965年に水のインフラが整備されました 

さてデリンクユは1969年に一般公開されるようになりましたが、現在見学できるのは都市の1割程度です。 

見学をするなら、見どころをしっかり教えてもらえるガイド付きツアーの利用推奨されます。中でも人気が高いのは「グリーン・ツアー」「サウス・カッパドキア・ツアー」です。 

このほか、2時間のプライベートツアーをする事も可能です 

 

いかがでしたか? 考古学者たちは、デリンクユのようなカッパドキアの地下都市は他にも数多く存在すると確信しいます。 実際2015年にも、ネブジェヒルで地下都市が見つかっているのです。都市の規模はデリンクユやカイマクルを上回っており、過去最大の地下都市といえます。地中に眠る巨大都市は、海中に存在するとされるアトランティスとはまた異なるロマンを我々に与えてくれるでしょう。
参考 : listverse, など
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