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研究の成果が悲劇に結びついた ~自身の発明を悔やんだ6人の天才~

研究の成果が悲劇に結びついた ~自身の発明を悔やんだ6人の天才~ 科学
研究の成果が悲劇に結びついた ~自身の発明を悔やんだ6人の天才~

 

文明の発展やテクノロジーの進歩の多くは、天才たちの発明によってもたらされました。一方で、せっかく生み出したものが人を傷付ける道具として使われてしまった事で、悲しみに暮れ発明を後悔した人もいます。

ここでは、そんな悲劇に見舞われた6人の学者のストーリーをご紹介します。

 

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アーサー・ガルストン

アーサー・ガルストンはアメリカの植物学者です。彼は植物の早い生長を促す方法を探り、大豆の花が咲くのを早めるホルモン、トリヨード安息香酸の合成を試みました。

でき上がったものは、濃度を高めると植物の落葉を促す作用の出る薬剤でした。そして細菌兵器を研究する科学者が薬剤に目を付け、それを元に化学兵器を作り出したのです。

オレンジ剤と呼ばれたその化学兵器は、ベトナム戦争で敵の軍人が植物の陰に隠れられないようにするための枯葉剤として使われました。

更に、枯葉剤の影響で民間人の健康被害が出始め、無数の奇形児が生まれたのです。これを受けてガルストンはオレンジ剤の使用に反対する活動を行い、結果この枯葉剤の使用は禁じられたのでした。

彼は生涯に渡り、自らの発明品が戦争に利用された事を悲しんだとされます。そして ニューヨークタイムズ紙の記者に「新たな発見は、ポジティブな結果にもネガティブな結果にも繋がる。

しかし これらについて、科学そのものに責任はない」と語りました。

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オーヴィル・ライト

ライト兄弟が人類初の有人飛行を果たした事は有名です。一方、彼らがその後 生涯をかけ、飛行機の平和的な利用を呼びかけていた事はあまり知られていません。

ライト兄弟は1909年に飛行機をアメリカ軍に売却しましたが、彼らは自分たちの発明品が戦争に使われる事など想像しませんでした。

そして 弟のオーヴィルは、第1次世界大戦で飛行機が戦争の道具にされた事を知ります。彼はその後、第2次世界大戦でも爆撃機による惨状を目にしました。

これらの経験から彼は、飛行機が町を壊し人を傷付けるという目的に使われる事は避けられないと確信したのです。

晩年、彼は新聞記者に「我々兄弟は、この世に長い平和をもたらすような発明をしたいと考えていたが、それは浅はかなものだった」と語りました。

ミハイル・カラシニコフ

ロシアの軍人であったミハイル・カラシニコフの望みは、ロシアという国を守り抜く事でした。

そのために彼は、軍で使われていたライフルの効率の悪さや危険性を探り、それらを克服した「7.62mm アブトマット・カラシニコバ」を設計しました。現在AK-47として知られるライフルです。

低コストで軽く過酷な気候の中でも使えるAK-47を開発した事で、カラシニコフはロシアの英雄となり、彼も自分の発明を誇りにしていました。

そんな中テロリストなどがAK-47を密造するようになり、このライフルは非のない人々の命を奪う道具となりました。

カラシニコフは こうした出来事に責任を感じ、教会の司祭に懺悔の手紙まで書いたのです。教会は彼を赦し、それまでの献身を称え礼を述べました。それから半年後、彼はこの世を去ったのです。

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アルフレッド・ノーベル

スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルは、ノーベル賞の生みの親です。この褒賞は「私の財産を、人類のために大いなる貢献をした人々に分配されるものとする」という彼の遺言がルーツとなっています。

最も栄誉あるこの賞の源泉となったのは、彼の発明品、ダイナマイトです。ダイナマイトは本来 建設現場で用いるための爆薬であり、ノーベルはかつて 弟の命を奪った爆薬ニトログリセリンを安全で安定したものに改良し、これを生み出しました。

彼は生前、戦争を終わらせるための発明をしたいと考えていましたが、願いは叶わなかったのです。軍隊はダイナマイトを兵器として使い、これにより多くの人の命が奪われました。

その後、あるフランスの新聞が「ノーベルが亡くなった」という誤報を掲載した際「死の商人、死す」という見出しを掲げたのです。

「人々の命を奪う方法を見つけ富を掴んだアルフレッド・ノーベル博士が、昨日死亡した」と書かれたその記事は、彼が亡くなった事を祝うような論調で書かれていました。

これに当惑したノーベルは、生涯を終えた後 自分がどのような人物として認識されるかを意識するようになりました。これがノーベル賞の設立に繋がったのです。

カムラン・ロフマン

アメリカではかつて、郵便配達員が配達先の飼い犬に襲われるというアクシデントが問題視されていました。そんな中 1960年、唐辛子スプレーと呼ばれるものが開発されたのです。

これが効果的である事が判明すると、1980年代にはFBIが兵器レベルの威力を持つ唐辛子スプレーの開発を試みたのです。

そして カムラン・ロフマンという専門家が、「オレオジン・カプシクム」という唐辛子スプレーを生み出しました。これは唐辛子に含まれるヒリヒリしたを起こす成分と同じ化合物から抽出された薬剤です。

辛さを計る単位である スコヴィル値は 530万にも及んでおり、これは自然界に存在する最も辛い唐辛子の5倍にあたります。

人にオレオジン・カプシクムを使う事で、相手は咳が止まらなくなるだけでなく、呼吸困難や失明状態に陥るという効果が望めました。そしてそれらの効果は一時的なものです。

警察が殺傷性のない このオレオジン・カプシクムを使えば、犯罪者を傷付けずに無力化できるとロフマンは考えていました。

そして この唐辛子スプレーが採用された国内の警察区には、使用のためのガイドラインが配布され、警察官はそれに沿った訓練を施されました。

ロフマンの告白によれば、このスプレーにより20年間で大勢の命が救われてきたとの事です。しかし2011年、オレオジン・カプシクムは深刻さのない抗議集会を弾圧する道具として使われたのです。

これにショックを受けたロフマンは、現在オレオジン・カプシクムを適切な形で使ってもらうために、多くの時間を費やしています。

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ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー

物理学者であった「原爆の父」ことジュリアス・ロバート・オッペンハイマーは、アインシュタインと共に原爆の開発に携わっていました。

第2次世界大戦が始まると、オッペンハイマーは戦いを終わらせるために、精力的に原爆の開発を行うようになりました。その成果が「トリニティ実験」と呼ばれる核実験です。

TNT爆薬1万8000tに値する原爆の威力を目の当たりにしたオッペンハイマーは、原爆の国際的な管理を求めるようになり、原子力委員会のアドバイザーを務めました。

オッペンハイマーは原爆開発に反対し続けましたが、共産党との繋がりがあった点から、政府は国家機密の流出を懸念しました。

最終的に彼の主張は潰され、彼は公職から追放される事になります。その後 彼は、生涯に渡り原爆実験の結果について 悔やみ続けたのです。

 

いかがでしたか?
発明品が生みの親の意に反する形で活用されたというケースは、今回の6人の発明家のケース以外にも多く存在する事でしょう。アメリカ海軍特殊部隊に所属していたクリス・ファッセル氏は「ネットワークの時代において、科学技術の進歩は人類がコントロールできるレベルを超えている」と主張しています。そんな中、私たちは科学技術の暴走を食い止める事はできるのでしょうか?
参考 : lspatents, など

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