水中に没した都市といえば、伝説の都市アトランティスを想像する人が多いでしょう。
この都市は大きく栄えていましたが、人々が傲慢になった事で神の逆鱗に触れ、海に沈められたと伝えられています。
このアトランティスが本当にあったかどうかは現在も確認されていませんが、実在した水没都市もあるのです。
今回は、その中の10ヶ所の都市をご紹介します。
ダンウィッチ
ダンウィッチは、イングランドの都市でした。
11世紀において、この国のあらゆる都市の中でも特に栄えた場所でした。
しかし、13世紀から14世紀にかけ何度も台風に見舞われ、徐々に海岸が浸食されていったのです。
住人の試行錯誤もむなしく、最後は都市の大部分が沈んでしまいました。
なお、ダンウィッチの眠る海は透明度が低く、潜って町を見る事は困難ですが、地元の博物館でこの町の3Dモデルを見る事ができます。
ラベンサー・オッド
イングランドの水没都市ラベンサー・オッドは、中世の海賊の本拠地ともいえる場所であり住人の多くはアウトローな人間でした。一方、町としてのシステムは整っており、町長がいたほか裁判所や刑務所などもあったのです。
また住人に納税義務はなく、代わりに町の近くを通過する船からお金を徴収していました。
やがて、この地は波に浸食されるようになり、1362年の初めに大きな嵐に見舞われた事で、完全に海に沈んでしまったのです。
バイア
バイアは古代ローマの半水没都市で、イタリア、ナポリの西16kmの地点に存在します。
町の名は、古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」に登場する、バイオスの名にちなむとされています。
長い間ローマの要所であったバイアは、気候が穏やかで非常に住みやすく、公衆浴場もあったのです。
人々は快楽主義的な生活を送っていたとされ、詩人セクストゥス・プロペルティウスはこの町を「淫事と悪徳の巣窟」と呼びました。
このバイアの一部は、火山活動によってナポリ湾に沈みました。
その後、1941年の発掘調査で建物の壁や道路、そしてオデュッセウスとバイオスの石像などが、極めて劣化の少ない状態で発見されたのです。
ヘラクレイオン
ヘラクレイオンは、ギリシャ神話の中でのみ存在する都市だと考えられていましたが、1999年エジプトで発見されました。水没し始めたのは3世紀頃とされており8世紀には完全に水の中に消えたのです。
立派な建物の重量が、都市水没の原因となった可能性があります。
さて、このヘラクレイオンの発掘調査では、無数の財宝が見つかりました。
古代エジプト文字やギリシャ文字で何かが書かれた石像、また石版が数百点見つかったほか、ミイラが納められていたとみられる石棺も発掘されたのです。
更には船の残骸も数多く見つかっており、この事からヘラクレイオンが国々の交易において、重要な役割を果たしていた事がわかります。
オウロス
オウロスは、ギリシャのクレタ島北部に広がる海に沈んでいます。
紀元前1000年紀の間に港町として繁栄を極め、「泉の町」とも呼ばれました。
この呼び名については、海賊の略奪を恐れた住人が、周囲の山々に100ヶ所もの泉を掘り、その中の1つにだけ、町中の財宝を隠したという言い伝えが由来とみられます。
しかし、その泉は未だ発見されていません。
また、オウロスがなぜ水没したかはわかっておらず、火山活動や、自然の浸食作用が原因という説などが持ち上がっています。
観光でオウロスの沈む海を訪れる機会があれば、シュノーケルを持っていきましょう。
透明度が高い海なので、都市を覗き見る事ができるかもしれません。
しかし、現在も発掘調査が進められているので、そこにあるものを持ち帰ってはいけません。
ネアポリス
ネアポリスは津波で流されたと伝えられていましたが、2017年、チュニジア沖で発見されました。
この町は、ローマ時代の重要な工業地帯であったと考えられています。
また、魚介類から作られる調味料、魚醤の一種であるガルムの主な産地でもあり、それを作るために使われていたとみられるタルも見つかりました。
ネアポリスが水没したのは、365年に発生した、マグニチュード8.0を超える地震による津波が原因と考えられます。
ちなみにこの時の津波によって、古代都市アレクサンドリアも破壊されました。
ケコヴァ
トルコに存在したケコヴァは、2世紀に地震によって水没した町です。
歴史的な記録は正確性に欠けるものしか残っていませんが、東ローマ帝国時代には名を馳せた都市だったようです。
地中海の海水は透明度が高いため、海上からでも遺跡をはっきりと見る事ができ、観光名所にもなっています。
海中へと降りていく石造りの階段や、海に沈む建物自体も印象的です。
しかしケゴヴァのある場所は保護地区であるため、潜って眺める事は許可されません。
楽しめるのは、海の上からの光景だけです。
アトリット・ヤム
地中海の、イスラエルの海岸から約1km離れた地点に眠る都市アトリット・ヤムには、完璧なまでに保存された人骨が眠っているのです。
この都市は、名の知られる水没都市としては最古の部類ですが、現在も石造りの床や壁、暖炉が残された大きな家々が立ち並んでいます。
9000年もの間海底で眠っていたアトリット・ヤムは、1984年の難破船の調査で発見されました。
空気にさらすと建造物などの腐敗が進む恐れがあるため、海底でも腐るような危険が生じない限り、発掘される事はありません。
そんな中考古学者が、埋まっている遺物に関する調査を行なっています。
ちなみにこの都市からは人間の遺体が見つかっており、調べたところ、結核にかかっていた事が判明しました。
それに伴い、この病気がそれまで考えられていたよりも3000年も前からある事が明らかになりました。
千島湖の獅城
かつて中国にあった千島湖の獅城は、1959年のダム建設のために、やむを得ず人の手で水没させられた都市です。
当初30万人の人口を誇っていましたが、ダム建設に伴い全員が移住を余儀なくされました。
獅城自体には約600年の歴史があり、中国の昔の建築様式を今に伝えています。
2001年の潜水調査では、竜などの石像や16世紀頃の建物が、極めて良好な状態で保存されている事がわかりました。
カンバート
インド西部に広がるカンバート湾で、2000年12月、約9000年前の都市であるカンバートが発見されました。
人間の遺体が見つかったほか、彫刻や建物の壁も発見されています。
ただし遺物がどの年代のものか、またそれらが本当に人工物であるかどうかを巡り議論が行われています。
研究結果によっては、カンバートで栄えた文明はインダス文明よりも4000年も古いという事にもなり得るのです。
またこの都市について、「前回の氷河期に海面が上昇した影響で水没した」という見解もなされています。
水没都市は、ファンタジーの題材として用いられる事がありますが、決して空想上だけのものではありません。今回ご紹介した水没都市以外にも、まだまだ多くの都市が海の底で眠っている事でしょう。かつて人々の暮らした町が海の中に存在しているという事実は、私たちの想像力を刺激してきます。
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