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極秘UFO調査計画 ~プロジェクトブルーブックの不可解な事案~

極秘UFO調査計画 ~プロジェクトブルーブックの不可解な事案~ 未分類
極秘UFO調査計画 ~プロジェクトブルーブックの不可解な事案~

 

冷戦時代に突入した1947年、莫大な量の目撃記録のあったUFOが米国の脅威かどうかを判断するなどの目的から、米政府とCIAの極秘計画「プロジェクト・ブルーブック」が発足しました。

元米空軍ラッペルトの指揮下、政府に寄せられた1万件以上の事件が調査され、「未確認飛行物体(UFO)」という言葉が誕生しました。

UFO目撃談の殆どは合理的に説明できるものの、そうでない事例も僅かにあります。

 

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空欄の現象

CIAは、物理学者で核の専門家のコンドンに、プロジェクト・ブルーブック指揮者ラッペルトの報告書を調査させたのです。すると、彼はUFOが地球外のものだという説明は不適切だと述べました。

1969年プロジェクトは打ち切られ、CIAは、UFOは危険物でなく、地球外生命体は存在しないと結論付けました。しかし20年後、当時のFBI長官に、ある政府要人が手紙を送りました。

手紙の1通にはこうあります。「君が父親を訪ねた時、(空欄)の現象と米政府の役割について議論したいと伝えた事は、覚えているだろう」FBIはこの空欄部分を訳あって編集したのでしょうか?

また、何通かの手紙はCIAや空軍が省略した箇所を明かせる可能性を示していました。手紙には、政府が「異星人の遺体」を隠したとも書かれており、こう締めくくられています。

「追伸、究極の挑戦として、ブッシュ大統領本人に訊いてみないのかね?」しかし、ブッシュ元大統領は死去し、これらの疑惑も未解明です。

ポーテージ郡UFO追跡事件

1966年、警官スパールは、光る物体が上昇するのを見ました。更にエンジンの轟音が聞こえ、凄まじい熱まで感じたのです。彼はその銀色の円盤を、仲間と共に追跡しました。

やがて、捜査はプロジェクト・ブルーブックに委ねられましたが、彼らは隠蔽工作をし、この1件でスパールは狂人扱いされました。

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ヒル夫妻誘拐事件

1961年、バーニーとベティのヒル夫妻は夜道を運転中、飛行物体を発見したのです。約300m上空で飛行しているように見えたその物体は円型で、それを囲むように窓が並んでいました。

また、方向転換せずに高速移動しました。気付くと2時間経過しており、その間の記憶が全くなかったのです。
これ以来、2人は毎晩悪夢にうなされるようになりました。

訪ねた精神科医の催眠術で、その晩、その乗り物に乗った生物に誘拐された記憶が蘇りました。記憶が蘇った時、バーニーはとても冷静に理路整然と話しましたが、異星人との遭遇については、異常な恐怖を示しました。

異星人の姿については、「1人は赤毛のアイルランド人のような容姿、もう1人はナチスのような邪悪な顔」と答えました。船内の者達は黒い軍服のような服装で、目が斜めに傾いていたと言います。また、喋る事なく話ができたとも述べます。

ワシントンUFO乱舞事件

1952年7月、ワシントン国際空港の管制レーダーが、機影を7つ捉えました。ワシントンDCで目撃されたそれらはオレンジ色に光り、空中で乱舞と静止を繰り返したのです。

政府は、その正体を気象観測気球と見なしましたが、信憑性に欠けます。プロジェクト・ブルーブック関係者は、町がパニックに陥ったのを見て、一般人は異星人やUFOの存在には耐えられないと考えました。

これ以降、政府がUFOの存在を主張する者の信頼を損なわせる為に、偽情報を流すようになったとの陰謀説が誕生します。

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ラボック事件

1951年8月、テキサス州上空で、鳥の群れのような隊列を組む緑がかった光が目撃されました。その後、数週間に渡り夜この町で同様の光が目撃されました。ラッペルトは光の動きの共通点を見つけました。

それらは、上空60mを時速約950kmで飛行していたのです。更に1997年、アリゾナ州で、同様の現象が2万人以上の人々に目撃されました。それは、V字の編隊を組み、巨大な母船らしきものもありました。

空軍は、任務でテスト機からフレアを投下したと言います。これを受け、実験で飛行機からフレアが投下されましたが、アリゾナ州の光とは似ていませんでした。

レヴェランド事件

1957年、テキサス州で男性2人が、彼らのトラックに高速で迫ってくる物体を目撃しました。しかし、なぜかエンジンが停止し、彼らは下車し近くに避難しました。物体が頭上を通過する際高熱を感じ、それが去ると、トラックは再び動き始めました。

彼らの通報を保安官は相手にしませんでしたが、その晩空から光る玉が降下し、車の近くで浮遊したという通報が15件もありました。いずれも光の玉が去るまで車のエンジンが止まっていたとの事です。

パトカーで出動した保安官もUFOを目撃し、やはりパトカーは、UFOが去るまで動きませんでした。捜査当局は、「球電」と見なしましたが、一晩で、晴れた日に何度も目撃される事はありえません。

プロジェクト・ブルーブック関係者ハイネック教授も同様に考え、球電が車やヘッドライトを機能不全にする証拠はないと記しました。

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キンロス事件

1953年、ミシガン州の空軍基地のレーダーが、時速800kmで飛ぶ未確認飛行物体を捉えました。追跡中、レーダーが捉えた彼らの機体とUFOを表す点は、突如消えました。

直ちに救助隊が捜索を行うも、機体墜落の痕跡は発見されませんでした。数年後、米政府はレーダーが捉えた点はカナダ空軍の飛行機と判断しましたが、彼らはこれを否定しました。

メン・イン・ブラック

1947年6月、ダールは漁の最中、450m上空に銀色のドーナツ状の物体を複数目撃します。うち1機から部品が落ち、同伴の息子と飼い犬が死傷しました。

数日後、彼は黒服の男達に、この事を他言したら命はないと脅されます。これはメン・イン・ブラックが初めて表舞台に登場した事件です。

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ロズウェル事件

プロジェクト・ブルーブック発足のきっかけである事件です。1947年ニューメキシコ州で、銀色の円盤が墜落しました。目撃者は「米空軍が、墜落した物体から小さな遺体のようなものを運び出した」と言います。

米政府は壊れた気象観測気球の一部を調べる職員の写真を公開し、空軍は遺体に見えたものは、気象観測気球に乗せられていた実験用のダミーだと主張しました。

数年後、米政府は落下物は宇宙用の探査機だと発表しましたが、発表までの時間が長い事に加え、現場作業に関わった空軍少佐が、落下物は気象観測気球だと偽るようマスコミに命令されたと発言します。

この為、政府は事態を隠蔽したとの陰謀論が今も一般的に信じられています。

ケネス・アーノルド事件

1947年ケネス・アーノルドは、レーニア山付近で30m程の銀色の円盤を9つ目撃し、それは高度3000mを時速約1900kmで飛んでいたと彼は推測しました。

当局は、付近に気象観測気球がない事から、彼の証言を合理的に説明できなかったのです。また、マスコミの彼への取材で「空飛ぶ円盤(Flying Saucer)」という言葉が誕生しました。

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いかがでしたか?
UFOに見えるものが、調べたら異なるものであったというケースはよくあります。
しかし、航空機や鳥としては絶対にありえないような動きをする飛行物体があったら、もしかすると地球外生命体の乗り物なのかもしれません。

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