みなさんの中には、マヤ文明 を知っている方も多いのではないでしょうか?
数千年経った今なお 謎は多く、考古学者達の眠れない日々は続いています。そんな努力の結果、少しずつ謎が解明されているのです。
今回はそんな紐解かれつつある、マヤ文明の10個の謎をご紹介致します。
神秘的な青
マヤの青については、諸説あります。宮殿の壁画や、儀式に用いられていたことから、重要な意味を持つことはまず間違いないでしょう。まず大きな特徴として、数千年経っても色褪せない「マヤブルー」の性質。
その特殊な色の主な3つの成分が、パリゴルスカイトと藍、そして残りの一つが謎でした。
しかし、近年研究者の間で「デヒドロインジゴ」という色素化合物ではないか?という推測がされています。一方で、これも確定した情報ではなく、いまだ研究は進められています。
現代ではまだ、この神秘的な色を生み出すことは難しいようです。
残酷で神聖な儀式
マヤ人は崇める神に栄養を与える独特の儀式を行っていました。その栄養は「ライフフォース」と呼ばれるもので、人間が持っているとされていたようです。
更に儀式では驚くことに、生贄を志願した人の中から選んでいたというのです。
やさしい儀式だったのかと思えば、とんでもありません。彼らは志願した人の体を生きたまま切り刻んでいたのです。
そして、吹き出した血を神への栄養として捧げていたといいます。
志願したいと思うほどに、崇拝していたのですね。マヤ人にとって神聖なこの儀式、肝心のライフフォースとは一体何だったのでしょうか? 今では想像も難しい文化です。
天候を利用した貯水システム
乾季は古代人にとって、生活に関わる大きな課題です。現代のような浄水システムの無い古代マヤ人は、一体どう対応していたのでしょう?
その答えは貯水池です。彼らは乾季が4ヶ月なのに対し、雨季が8ヶ月あることをうまく利用しました。
研究によると、最大容量7500万リットルもの貯水池をいくつも建設していたようです。このシンプル且つ天候を利用した仕組みにより、マヤ文明の大都市ティカルは何百年も繁栄しました。
しかし、現代のような機械がある訳でもない彼らが、どうやってこれ程巨大な貯水池を造ったのでしょう。新たな調査結果に期待しましょう。
名もなき王の記念碑
グアテマラの寺院で、約1500年前のものと推測される石碑が出土しました。石碑には当時の出来事や文化などが記されており、貴重な研究資料となるのです。
今回、石碑に描かれていたのは「チャック・トック・イチャーク」という王の名と王朝間戦争の様子でした。
戦争内容もさることながら、この王の名はなんと今までの記録にない、極めて重要な発見だったのです。いまだ知られていなかった王が関わる7年に及ぶ王朝間戦争。
さらに戦争の後、王が亡くなり息子が即位したということも描かれていました。王を称えた記念碑と思われるこの石碑について、今後更なる研究が行われるでしょう。
支配の無い生活
古代文明と聞いて、誰もが王に支配された世界を思い浮かべますよね?しかし、実際は違う様です。マヤ集落の一つが、火山灰層に埋もれた状態で発見されました。
学者の調査では、農耕民のものと見られるその集落からは支配されていた様子が見られなかったといいます。それどころか、自治や農耕管理などを民が行っていたことが判明したのです。
これは上位者に管理されることなく、独立的な生活を民が行っていた証明になりました。
古代エジプトにはファラオがいたという話は有名です。
それと比較すれば、同じ古代人としていかに独特な文化か伺えます。マヤ人は私たちの想像以上に自由な生活を営んでいたのですね。
マヤ文明崩壊の謎
高度な文明として知られるマヤ文明ですが、なぜ滅んでしまったのでしょう。理由については諸説ありますが、最も有力視されているのが気候災害です。
中でも深刻だったのが持続的な「干ばつ」でした。9世紀、南に位置した都市は数十年続いた干ばつで崩壊。
その後、11世紀にも2度目の持続的な干ばつに見舞われ、北の都市も崩壊したのではと考えられています。前述した貯水システムも雨季を利用したものだったので、干ばつは致命的です。
いくら高度な文明であっても気候には抗えなかったのですね。
マヤ独自の文字
マヤにはマヤ文字と呼ばれる独自の文字が存在します。これは象形文字の起源とされる文字の一つとされ、19世紀後半から調査が続いています。
そんな中、最近の調査によりグアテマラのピラミッドから新たな文字が発見されました。文字の発見は、これまで発見されている文字のルーツを辿るのに重要な役割を持ちます。
実際、今回の文字の発見によりマヤ文字の研究は150年も遡ることができたのだといいます。
文字の研究が進めば、今まで着手できなかった文章も解読でいるようになります。今後更なる研究発表が楽しみですね。
太古の水圧技術
生活をする上で、水圧のコントロールは必須です。現代でも上下水道などに水圧をコントロールが使われています。
それは古代人も同じはずで、トイレなどどのように利用していたのか。研究者たちを長年悩ませていました。
そんな中、2009年にマヤが持つ水圧技術が判明したのです。メキシコ・チアパス州パレンケの調査によると、水路・泉・滝を駆使していたことが分かりました。
中でも滝は作られた人工物であり、数メートル規模だったようです。当時1000を超える建造物に6000人程の住人がいたとされる地域です。
これだけの規模の生活を支えていたというのですから驚きです。この技術は以前発表されていた憶測より古く、西暦750年頃ということも判明しました。
今回も研究結果が以前のものを年代的に上回りました。今後もさらに古くて緻密な水圧コントロール技術が発見されるかもしれませんね。
謎の小部屋
日本人はお風呂が大好きですよね!なんとマヤ人もお風呂を好んでいたことが判明しました。クエヨというマヤ遺跡を調査していたところ、妙な小さい部屋が発見されました。
調査によると、この部屋の正体はサウナだったのだといいます。
マヤ人はお湯を張った風呂ではなく、蒸し風呂であるサウナを利用していたのです。主な使用目的は健康維持や汚れを落とすことですが、理由がもう一つ。それは邪気払いなどの霊的な使用方法です。
現代にも残る考え方ですが、マヤ人は生活の一環として利用していたようです。こう言った霊的な利用方法も生活の一環に組み込まれている部分。
なんとも古代人らしい独特な風習だとは思いませんか?
命がけのスポーツ
現代にも馴染みのあるサッカーですが、なんとマヤ人も好んでいたといいます。更に、とある儀式の生贄を選ぶ際、意外なことにマヤ人はこのサッカーを用いていました。
厳密にはサッカーとは違うようですが、よく似た形式だったといいます。
命がけの試合に、選手たちはお手製の防具を身に付けていたそうです。現に遺跡では様々な防具が出土しており、猿などの骨が使われていました。
石でできたものも発見されており、死者に送られたのもだと予想されています。
死後の世界でもサッカーをすると考えられていたことが伺えますね。
以上がマヤ文明について判明しつつある謎の数々です。過去に滅亡してしまった古代文明マヤ。現代の技術を持ってしても判明しない奥深さに、神秘を感じずにはいられません。多くの人を魅了するマヤ文明に、あなたも触れてみるのはどうでしょうか?
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